出雲大社参拝♪
出雲大社に参拝してきました♪
残念なお天気だったのですが、
幸せなことに参拝時には雨が上がりました![]()
今回、出雲で感じたのは、
とても繊細でやわらかくて、
包まれているような優しいエネルギー。
遷宮されたこと、
そして、前回の参拝時と私の状態が変化していたので、
だいぶ感覚が違いましたした。
(前回は、
「わ~~!!来たよ!出雲大社~~
」
という感じで、確実に舞い上がって心ここにあらずでした
)
曇りの感じも、『神々の国』という雰囲気を盛りたてて(?)くれてました。
そして、その後に命主社に参拝。
命主社のムクノキがとても素敵でした![]()
私、本当に木に吸い寄せられるなぁ~
木の優しさと強さが、本当に好きです![]()
今回の出雲大社参拝では、
どこか深い部分で何かが変化した感じがします。
参拝することに意味を見つけたり、
意義を感じるのではなく、
ハートで共振しながら幸せを感じていた旅でした![]()
素直になる ~受け取る自分に向かって~
誰かとふと目が合ったとき、
話をしているとき、
胸の奥のどこかで
ドキドキしているときがある。
ちょっと不安というか、
どうしたらいいんだろう・・・
と感じてしまう感覚がある。
どうしていいかわからなくて、
ふと目をそらす。
そんな感覚を隠したくて、
そんな感覚を感じていることを悟られたくなくて
言いたいことを途中で切り上げてしまったり、
わざとおどけてみたりする。
どうやら「受け取ること」「認められること」を
怖がっている自分がいるみたい。
そのドキドキさえなくなったら、
この不安な感覚がなくなったら、
ちゃんと愛を受け取れるようになるのかも。
自然に愛を分かち合えるようになるのかも。
そんなふうに思っていたけれど、
どうやらそれはあまり上手くいかないみたい。
だって何とかしようとしてもドキドキする。
その感覚を感じないようにしようとしたら、
自分がギクシャクしちゃう。
そういえば、
その感覚を感じている自分とちゃんと一緒にいてあげたことってあったかな?
そうか、
そんなドキドキしている自分と一緒にいてあげよう。
怖いけど、そんな感覚をちゃんと味わってみよう。
空の上から
先日飛行機に乗りました。
久々だったからか、
窓からずっと外を眺めていました。
飛行機が陸から離れれば離れるほど、
目の前にあった景色が小さくなって、
建物や木々、川などが小さくなって、
高度が低い雲を超えたくらいの景色は、
まるで海の中にいるような感じでした。
その後高度はどんどん高くなり、
もう少し上にあった雲に届きそうなくらいになり、
さらに地上が遠くなると空の色も変わり、
また窓から見える景色の美しさが変わりました。
天井にあった雲を抜けると
さらに上には青空が広がっていました。
そして眼下にはまるで雪が積っているかのような景色。
厚い雲で、地上は全然見えません。
自分の見ている場所で、こんなにも景色が違うんですよね。
地上にいて、自分の見ている視点だけが現実のように感じていると、
目の前の建物が大きすぎるように感じたり、
周りの音がうるさすぎるように感じたりする。
曇っている空や、雨がうっとおしく感じたりする。
でも、もう少し違った視点を持っていると、
全体像が見えてきたり、
またもっと違う視点を持つと
どんな状態でも、青くて広い空が広がっていることに気づけたりする。
きっとどの視点もとっても大切で、
いろんな高さの視点があるからバランスする。
チャクラと同じだなと感じました。
第1チャクラが活性していると
地に足をつけて生きる。
でも、目の前のことに一生懸命になり、
自分の見聞きすることだけを信じてしまうと行き詰ってしまうときがある。
上の方のチャクラが活性していると、
すべてが繋がっていることや
つねに光があることを信頼できるけど、
そればかりを信頼し、
目の前のことを見ないようにしていると
体験も少なくイメージの中で生きてしまう。
いろんなチャクラが活性し、
いろんな視点を持っているからこそ、
目の前に広がる事象に囚われすぎずに、
でも信頼とともに今に在り続けられるし、
その事象を楽しんで関わることができる。
空の上で、景色の違いとともに、
バランスの大切さを感じました。
タイミング
今がタイミングだったんですね。
クライアントさんに
ふとお伝えした言葉でしたが、
タイミングについて今どう捉えているのか
気づく機会になりました。
『タイミング』
というと、掴んだり逃したり
というイメージがある気がします。
見極められた時期のような。
以前の私は
「チャンスの時を逃したくない、活かさなきゃ」
とタイミングを待ちかまえていました。
何かあると
「これはタイミングっていうこと?」
といちいち考えたりしていました。
また、
「あの時やっていれば・・・」
その時を思い出しては残念がったり、
自分に×バッテンをつけてました。
確かに追い風に乗りやすいと思える状況の時はあるし、
そういう意味で、外側の状況を
『タイミング』と呼ぶ時はありますよね。
でも、過去を振り返って
「あの時○○しておけば・・・」
なんていくらでも言えるし、
その時何かをしたからといって、
今満足しているなんてわからない。
わからないからこそ、期待が膨らんで
「あの時タイミングを逃していなければ・・・」
なんて言ってしまう。
人はその時々の自分の状態で、
物事の捉え方が違うもの。
つまり、事象をどう捉えるかは
その時の自分次第なんですよね。
そう考えると、
タイミングは自分の外側にあるのではないのかも。
今体験していることがすべてでタイミング。
小さな宇宙
友人からトゥルシーの種を授かりました。
種から植物を育てるのは久々すぎて、
まず発芽させることができるのかしら?
と不安がちらほら。
そして、
小さな芽がひとつ土から頭をのぞかせたのを見つけては喜び、
ふたつ目が出てきたのを見つけては喜び、
なんと只今18この芽が![]()
可愛い![]()
とプランターをのぞいていて
そうか、私が心配することではなかったんだ
と気づきました。
この子たちは種の状態ですでに
それぞれが生きるエネルギーに満ちていたから。
そしてまた、
それぞれ少しずつ発芽までの日数が違って、
今ようやく双葉までなった子もいれば、
すでに本葉(?)をのぞかせ始めている子もいる。
けれど、
「発芽が早い」とか、「遅い」とか考えることもなく、
それぞれが『生きる』エネルギーで地と天と繋がり、
今を生きている。
素敵だなぁ。
どの子もどの子も愛らしい![]()
プランターの中の小さな宇宙![]()
そこに在る生きる力を信頼しつつ、
育つのを見守りたいと思います♪









