仙台市近郊の津波伝説
岩手県奥州市に興性寺と言うお寺さんがある。
そのお寺は真言宗智山派でご住職は
岩手教区布教会の会長さんをしておられる。
そのご住職から依頼されて次に記する文章が
前回に引き続き紙面にて紹介された。
仙台市近郊には数多くの津波伝説が残っています。
しかし伝説により先人が後世に伝えたかった
ことがらも時代の流れと共に風化し
実効的な開発だけが推し進められて来ました。
その結果として今回この様な大きな被害を
引き起こしてしまったことは非常に残念であります。
だから今度こそ同じ過ちを二度と
起こさない為にも先人達が残した教訓を
改めて知り、今を生きる私達が
次の世代にそれを引き継いでいかなければ
ならないと考えます。
浪分け不動と浪分け神社の伝説
仙台の海岸線から西の内陸部へ直線にて
約5キロメートルの所にこの神社はあります。
神社側の陸上自衛隊霞ノ目駐屯地の脇には
江戸時代の名横綱谷風の墓があります。
この辺りは海抜5メートルとなっています。
今回この地は仙台東部道路があった為に
津波被害は幸いに免れましたが
この道路が無ければ確実に津波は此処まで来ました。
文禄五年たび重なる大地震に年号を
慶長と改元されたがその後も大地震は
立て続けにおきた。
奥州の覇者伊達政宗公が
遣欧使節をスペインやバチカン国に送った
その年代の慶長津波は井土浦川・七郷堀を
駆け上がりこの辺一帯に押し寄せ
此処で浪が二つに分かれたと伝えられています。
この社には浪分け不動尊がご本尊として
祀られ浪分け神社と言われています。
浪切不動堂の伝説
仙台市宮城野区榴ヶ岡天神下にあり
不動明王を祀っています。
慶長津波は梅田川を上ってきたと思われます。
その時代の梅田川は七北田川と合流し
多賀城を流れ蒲生から現在の仙台港が
河口であると言われています。
浪切は慶長津波が梅田川を駆け上がってきた
最終地点即ち津波の浪切に由来しています。
浪分け不動も浪切不動も、
この地で津波を入れないという最終地点であり
津波という魔物を怒りの形相でこの地で縄をかけ、
捕縛し剣で切り捨ててしまい
津波という魔物を息絶えさせてしまう佛様であります。
蛸薬師堂と薬師如来の伝説
蛸薬師堂は仙台市太白区
長町三丁目に祀られている神社で
薬師如来を観音様と呼んでご本尊としています。
慶長津波の時この薬師如来に
蛸がついて流されてきたということです。
元来薬師如来は人々の病を治し
災難を取り除いてくれるのであり、
ここでは津波という病魔に冒されたこの地を
再びこの様な災害のないように
観音様(薬師如来)にその願いを託して
祀っているのです。
知人の飯沼勇義さんは歴史学者で
平成六年に仙台平野の歴史津波という本を
歴史学者としての立場から出版して居ります。
そしてその著書の仙台平野の歴史津波の中で
一千年前の貞観津波と江戸時代の
慶長津波の類似性と今回の
3.11大地震のことを歴史学者の立場から解析して
間もなく大地震が来ると指摘し
同時に当時の藤井仙台市長と
浅野県知事に陳情書を出していましたが
残念ながら全てが今回の地震津波にて
平成六年にその著書で指摘した
通りになってしまいました。
私達は自然に逆らって生きるのではなく、
自然や歴史が語ることを謙虚に学び
後生に時代を繋げていく責任があるのであろうと
私は考えているのです。
