今年に入り

長患いをしていた父が亡くなりました。

享年80歳でした。

パーキンソン病になって15年。

寝たきりになって5年。

長い闘病生活でした。

私、実家が九州なので

「もういよいよ危ないらしい」と聞いて

駆けつけたけれど、間に合いませんでした。

静かに、眠るように逝ってしまったそうです。

お葬式に、「家族からの手紙」を読んでもらいました。

妻と子ども3人、孫が7人。ひ孫が2人。

たくさんの方に見送られたお葬式でした。





以下、父への手紙です。




お父さんへ

お父さん

お父さんは頑固で真面目な人でしたね。

涙もろくて、寂しがりやでもありました。

人から頼まれたら嫌とは言えずに力を尽くす人でした。

口癖は「早う帰ってこい❗️」でした。

奥さんのことが大好きでしたね。

仕事は農業一筋、働き者でした。

小さい頃、長靴に作業服で

西部劇の口笛を吹きながら

青いトラックで出かける姿を見送り

「お父さんってかっこいい」と

思ったものでした。

お風呂に一緒に入ってミカンを食べたこと。

ピーマンが嫌いな私に

「中にカレーを詰めて食べたら美味しいぞ❗️」

と楽しくピーマンを克服させてくれたこと。

忙しい仕事の合間、家族を山登りやキャンプに連れて行ってくれたこと。

キャンプでカレーのルーを忘れて

「バカだね〜」と

みんなで大笑いして食べた塩味のカレー。

スプーンも忘れて

お父さんが、木の枝を削ってお箸を作ってくれたね。

あのカレー美味しかったなぁ。

カレーじゃないけど(笑)


いつまでも忘れないよ。



夏になると近くの川で、うなぎを釣って

さばいて、焼いて食べさせてくれた。

とても、とても美味しかったよ。

「おじいちゃんのうなぎ」は孫たちにも良い思い出になっています。

「平戸城」に連れて行ってくれたことがきっかけで

お城に興味を持ち、熊本城の仕事をしている孫もいますね。

みんなの進路に大きな影響を与えました。

多趣味で器用だったお父さん。

竹細工で作った帆船は、本当に見事な出来栄えでした。

手作りの椅子やブランコを作ってくれました。

私の誕生祝いに「ひまわり」をかたどった鏡を

作ってプレゼントしてくれたね。

ハーモニカが上手で、よく童謡を聞かせてくれました。

「赤トンボ」の音色が今でも耳に蘇ってくるよ。

夏になると「かき氷買ってこい❗️」とお小遣いをくれました。

毎晩のようにみんなで食べたかき氷。

お父さんはいつも、急いで食べて

「あ〜❗️頭が痛か〜❗️」

と座敷を転げ回っていました。

「また始まったよ」ってみんなで笑ったね。

反抗期にはたくさん反発して、

「娘にこんなこと言われて…」と泣かせたこともありました。

ごめんね、お父さん。

そんな私をいつも応援してくれてありがとう。

晩年は民生委員を二期務めて、地域の人たちのために働きました。

病気になってからは、ますます母に頼りきりで

どんどん素直になった父。

帰省して

「ただいま、なおこが帰ってきたよ」

と言うと、黙って目に涙をたくさん浮かべていた
お父さん。

病院にお見舞いに行くと

もう寝たきりなのに、売店に行く私を

「なおこはお金ば持っとるとかね〜❓」

と気遣ってくれたね。

沢山の愛情をありがとう。

大きな愛情で家族を包んでくれました。




お父さん、ありがとう。

お疲れ様でした。

ゆっくり休んでね。

またいつか、会おうね。