忘れない。27年経ちました。 | ハイビスカスLife

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徒然に、ハイビスカスのお話。


阪神淡路大震災、あれから27年経ちました。

午前5時46分、家にトラックが突っ込んだ。と、

思った瞬間、激しく揺れた。


8か月の次男は、寝たら朝までぐっすり寝る子でした。

2つ違いの長男は、よく夜泣きをする子でした。

だから、この日も長男は、いつものように夜泣きをしてますが、この日に限って、次男までも夜泣きを。

長男が、寝たと思ったら、次男が泣く。

次男がなぜ?泣くの?夜中の2時くらいから、2人を両手で抱えてたらねてくれたので、抱き抱えてました。


そんな束の間でした。ベッドの上で、トランポリン状態のまま2人を抱えていました。

主人が、『早く起きろ!』と、『2人を抱えてるから、無理。』と、言うかの瞬間に、わたしたちの上にかぶさっていました。


一瞬なのか、私の中では、長かった。

上を向いてたから、和室の照明が、天井に当たるか当たらないか暗い揺れていたので、落ちたら危ない。

と思った記憶がまだ、そこにあります。


で、とりあえずリビングに『今は、ハイビスカス部屋』移動して、ものすごく寒かったので、エアコンかファンヒーターのスイッチを入れようとしたら、主人に、また、大きな揺れが来たらどうするの?

と、言われ、親子で布団にくるまってました。


で、明るくなり、テレビもつけたら、すごい状態やわ〜

三ノ宮の街が、震源地の田にすごい亀裂が〜ええぇ〜なにこれ〜って、絶叫しました。

だってね、我が家の周りは、昨日と同じ風景なんです。

でも、ご近所では、食器棚から食器が落ちたり、冷蔵庫の上に置いてるレンジや炊飯器が落ちたりしていたそうです。

我が家も、ハッとそう言えば、前日流し台の端っこに、お酒の瓶を置いてるわ。

間違いなく、散乱してるはずと、恐る恐る行ったら、どこもなにもなってません。よかったと思っていました。


我が家は、なんの被害がないと思っていました。

が、寝室にしていた和室の壁2箇所に亀裂が入りました。

もちろん和室の壁も周りもすいてます。

我が家は、下の部屋は、昔は主人の実家の農機具が入る倉庫でしたから、空洞です。

テレビで見る、地震に弱い家です。その上、柱も細いんです。

はあ、半壊証明もらって、下に補強がてら、部屋を作りました。


そして、普通に日々を暮らしていましたが、島外の友人からは、ずっと電話連絡してくれていたそうですが、電話が通じない状態だったそうで、数日経って、やっとつながり、びっくりしたことを覚えてます。


本当に、テレビで見た光景は、今も忘れられません。

あの頃から、携帯電話の普及し始めたり、ボランティアという言葉も、当たり前のようになってきましたね。


息子たちは、阪神淡路大震災の記憶はありません。

でも、こんな悲劇は経験しなくてもいいと思いますが、熊本や東日本と、大きな地震が続いていますが、忘れてはいけない出来事でした。