「好きだ。俺と付き合ってくれないか、千尋」
放課後の誰もいない空き教室に、匠の魅惑の低音がこだまする。
「えっ? うっ、嘘ぉ――っっ」
千尋は思わず、口許を制服の袖で覆ってオーバーリアクション。
何しろ匠――長谷川匠は、一年近く千尋が恋焦がれてきたお相手なのだ。
中二にして百七十センチを優に超える長身に、ジャニーズ風の甘いマスク。
運動神経も抜群で、テニス部のキャプテンも務めている。
爽やかにラケットを振る姿は、まさにテニスの王子様である。
――た、匠先輩に告られるなんて、成瀬千尋、死にそうですぅっ!
これは古い少女漫画にありがちな、ベタな逆転サヨナラホームラン的展開。
しかしベタだって、露骨なハッピーエンドだって、幸せならばそれでいい!!
千尋はコホッと一つ、気持ちを落ち着けて静かに咳払いをすると、
大人しく可愛い後輩を装い、「私でよければ」と控えめにお返事。
本当は「ありがとうございますうぅっっ」と泣いて喜びたい所だが、ぐっと我慢。
小一の頃からの大親友、史織(最近は塩タンにちなんでシオたんと呼んでいる)に今すぐ知らせたい所だが、それもぐっと我慢。
「よかった」
匠はそう言うと、頬を微かに赤らめながら爽やかにはにかんでみせた。
――うぅっ、何て素敵な笑顔なの。きゅーん!!
「それでな、千尋――」
匠は再度口を開きかけた。
が、それは「成瀬!」という怒声によって遮られてしまった。
社会の和田先生である。
「和田せんせぇ~許して下さいよぉ……うふふふふ」
千尋はペンケースを抱き締めながら笑う。
「うふふ、じゃない。成瀬、涎垂らして居眠りする奴なんて、お前以外にいないぞ」
そう言って先生は、くるりと丸めた教科書で千尋の頭を軽く叩いた。
それが合図となったかのように、クラスが爆笑の渦に包まれる。
「よっ、涎ぇっ!?」
千尋は慌てて制服の袖で口許をゴシゴシ。
恋する乙女にあるまじき失態だと一旦は思ったものの、ブレザーにそれらしき液体は付着せず。
口の周りが湿っている様子も、まるでない。
「ほっ……何だ先生、盛ったんですねー。心配して損しましたっ。ていうか、頭叩く癖止めて下さい!ポニーテールが乱れちゃったじゃないですかー」
せっかくいい夢だったのにぃー! と千尋は、自分の居眠りさえ棚に上げてブツブツ。
そして微かに乱れたポニーテールをなでなで。
今日の朝は五分もかけて「爽やかな後輩」を演出するためだけに、自慢のロングヘアーをポニーテールに結ってきたのだ。
健気なものだと千尋は自己陶酔に浸る。
そんな千尋を夢の世界から引きずり戻すように、
「成瀬こそ、居眠りする癖でも直せ!」
先生が止めを刺す。
たちまち教室にさざなみの如く広がる笑いに、千尋は膨れた。