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  チェック表(過去問)

 

 

ドロミュー

1750年~

フランスの地質学者、鉱物学者

12歳の時にマルタ騎士団に加わったが、科学研究のため軍務を離れる

イタリアのチロルの調査旅行を行った時、翌年、彼の名前からドロマイト(苦灰石、苦灰岩)と命名される鉱物を発見した

ナポレオンのエジプト遠征に参加したが病となって帰国する途中にシシーリー島で捕虜となり、22か月拘束された

 

 

 

ドロマイト

苦灰石、あるいは岩石である苦灰岩を指す

どちらを指すか区別できないので、苦灰岩のことはドロストーンともいう

鉱石の色は灰色か白色で、石灰石に似ている。石灰石が海水中で変容して生成する

 

 

 

 

 

ベルトレー

1750年~

サヴォイア公国およびフランスの化学者・医師である。

フランス元老院の副議長となった

 

ベルトレーはアントワーヌ・ラヴォアジエやその他の化学者と共に、化学物質の命名法や名前の体系を決めた。それらは現代の化合物の名称の体系の基礎となっている。

さらにベルトレーは染料や漂白剤の研究を行い(塩素を漂白に使うなど)、そしてアンモニアの組成を決定した。逆反応、ひいては化学平衡の特性を認識した初期の化学者の一人である。

強力な酸化剤である塩素酸カリウム(KClO3)は、ベルトレーの塩として知られている

 

フランスの化学者ジョゼフ・プルースト定比例の法則の妥当性について長く論争したことで知られている。

プルーストは化合物を構成する元素の割合はその製法に関わらず一定だとし、ベルトレーは初期状態の反応物質の比率によって変化するとした。プルーストは正確な測定によって自説が正しいことを証明したが、化学界の権威だったベルトレーがいたため定比例の法則はすぐには受け入れられなかった。

それが受け入れられたのは1811年にイェンス・ベルセリウスが認めてからである。しかし、後にベルトレーが全く間違っていたわけではないことも判明している。すなわち、定比例の法則に従わない化合物も実在することがわかった。そういった不定比化合物は、彼をたたえて「ベルトライド化合物」と名づけられた。

 

ナポレオンのエジプト遠征には科学者チームの一員として随行し、エジプト学士院の一員となった。 

王立協会フェロー、スウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれた。

 

 

 

 

 

ガスパール・モンジュ

フランスの数学者・科学者・工学者・貴族

エコール・ポリテクニークの創設者

世界で初めて二酸化硫黄の液化に成功する

  • 今日知られる微分幾何学を開発し、曲面方程式や曲線の微分方程式から3次元空間への曲面曲率線の概念を導入して幾何学的形状を解析するなど、微積分方面による曲面の研究で知られる。
  • 軍事技術関連では、大砲鋳造や火薬製造法などを開発している。フランス革命当時、海軍大臣、元老院議長を務めていた。ヴァレ大学にガスパール・モンジュ学院、また切手の肖像画のほか、フレンチライラックやバラにも名がつけられた花がある。
  • ナポレオンのエジプト遠征にも同行し、カイロのエジプト大学設立に参加した。このとき、砂漠の行軍時に悩まされていた蜃気楼の原因解明を後に行ったことがよく知られている。

 

 

 

 

 

マカライト(孔雀石)

緑色の鉱物で、もっとも一般的な銅の二次鉱物。

 

  • 孔雀石は銅を含むもっとも一般的な二次鉱物であり、一次鉱床の銅鉱石が大気中の二酸化炭素や地下水の作用によって風化し、銅化合物が濃集して形成された二次鉱床として一次鉱床の周辺などに分布する
  • 現在ではロシアのウラル山地、次いで南アフリカが主な産地となっている。ウラルでは建築建材に利用できるほど大きな孔雀石を産出する。日本国内では小規模なものながらも各地の鉱山に産出し、著名な産地としては秋田県中央部の銅山である荒川鉱山(協和町)があった。
  • 孔雀石は紀元前2000年ごろのエジプトですでに宝石として利用されていた。当時のエジプト人はラピスラズリ(青)や紅玉髄(赤)などと組合せ、特定のシンボルを表す装身具に用いた
  • 孔雀石の粉末は、顔料(岩絵具)として古来から使用されている。この顔料は「岩緑青」、「マウンテングリーン」、古名では「青丹(あおに)」と呼ばれる。クレオパトラがアイシャドーに使っていたことはよく知られている。
  • 銅の炎色反応を利用した花火の発色剤としても重用される。
  • 墨のように硯ですることによって、雅楽の楽器である笙の青石としても用いられる。
  • 石言葉は危険な愛情。

 

 

 

カドミウム

原子番号48の金属元素

元素記号は Cd

亜鉛族元素の1つであり、化学的挙動は亜鉛と似ており、常に亜鉛鉱にカドミウムも含まれているため、亜鉛精錬の際に回収されている

1817年にドイツの科学者フリードリヒ・シュトロマイヤーによって、菱亜鉛鉱(炭酸亜鉛)から不純物として発見された。

同年には同じくドイツのカール・ザムエル・ヘルマンも酸化亜鉛から発見している。

 

有害物質として知られる

日本ではカドミウムによる環境汚染により、富山県の神通川流域で発生したイタイイタイ病が問題となった

ヨーロッパでは、カドミウムの人体への蓄積を防ぐため、カドミウムを含む製品の製造・輸入に関してRoHSとして知られる厳しい制限を課している。

 

2001年、ソニー・コンピュータエンタテインメントは、オランダ政府より、ゲーム機のPS oneの周辺機器から基準値を超えるカドミウムを検出したとして、対応策を求められた。配線の赤いビニール被覆の顔料として、カドミウムの化合物が用いられていた事が原因であった。ソニー・コンピュータエンタテインメントは欧州全域で100億円以上の費用を投入し、製品の回収と対策品の置き換えを余儀なくされた。この出来事は、世界の電機部品メーカーに強いショックを与え、工業製品の生産現場からカドミウム離れが起こった。

 

カドミウムの由来には、例えば、フェニキアの伝説上の人物であるカドモスが由来という説、または、ギリシャ語で菱亜鉛鉱を意味するカドメイアに由来するという説がある。

 

 

 

 

メフテル

オスマン帝国とトルコ共和国で行われてきた伝統的な軍楽のことで、オスマン軍楽、トルコ軍楽とも称される。

メフテルを演奏する軍楽隊をメフテルハーネと言う。

 

メフテル(語源はペルシャ語の「上位」という言葉)はもともと、さまざまな職種の位の高い家来のことを指していた。

「メフテル軍楽隊」の先駆けである「メフテルハーネ」は1289年にセルジューク朝の指導者アラアッディンがオスマン帝国の皇帝オスマン1世に捧げたと言われている。皇帝は、メフテルの演奏中は常にアラアッディンに敬意を表して起立していたと言われている。 この習慣はなくなったが、メフテルハーネはオスマン帝国と皇帝の象徴であった。

楽隊員は皇帝のカプクル、すなわち「常備軍」の一員であり、皇室スタッフの中でも一番賃金が高かった。

1600年頃には、メフテルといえば皇帝専属の音楽隊、という認識が生まれていった。