アディショナル前の感想です。。

 

 

なるべき形になったという、そういう印象です

 

「出来合いのデッキ」 = 作り手がガッツリ作り込んだ形、モノ

 

これが幅を利かせ尽くして、こういった類を使うしか術が無くなってしまった

 

チェス、秘術、スペルウィッチ

バフドラゴン、ディスカ

狂乱復讐進化ヴァンパイア

回復ビショップ

連携、ヒーローロイヤル

進化ネメシス

 

※AFネメシスは現段階ではきついが、いつだって「作り手が出来合いのデッキとして完成品を出してきさえすれば、強いモノとして大いに使える、使われる」

 

 

と、このように

 

作り手が1から10まですべてガッツリ作りこんだモノ(カード、デッキ、構成)をまるまる、まんま使うゲームとなってしまった

 

ゆえに

 

何を使ったって勝てる

 

そこにはもう面白味も何もない

 

こうなってああなってそうなって、こうなってああなってどうなって…

 

という、作り手が1から10まで作りこんだそれを「ただなぞるだけ」で良い

 

過不足無く、何もかが上手く噛み合う、ハマるようにできている

 

すごく分かりやすいのが「ゴーストネクロ、チェス、狂乱、進化ネメシス」辺り

 

なにもかもで、もう作り手の方で完全版として作ってある「それら」をただ出すだけになってしまっているというのがよくわかるだろう?

 

戦略性も思考もク●もあったもんじゃないっていう

 

カードを引いてマニュアル通りにただ出していくだけのテンプレ感

 

 

(アディショナル前の話)

利用者は皆無だったが、ディスカードドラゴンだって狂乱ヴァンパイアだって、「チェス・秘術ウィッチ」だって、「マナリアウィッチ」「八獄エルフ」だって、何だってよく勝てた

 

強かった

 

なぜか?

 

作り手がガッツリ1から10まで作り込んだモノだから

 

過不足無く、ストレスなくしっかりガッツリやれる

 

なぜか?

 

過不足無く、ストレスなくしっかりガッツリやれるように作り手が作ったから

 

 

過去何度も述べてきたように

 

利用者がいない ≠ 弱い、使えない

 

利用者がいないからと言って、強いモノは強い

 

前環境でいうところの「ラスワネクロ」

 

とうとうまったく一度たりとも出会わなかったけれど、私はそれで20連勝近くあげたし、たま~に使えばいつだってよく勝てた

 

現環境で云うと「マナリアウィッチ(アディショナル前の話)」

 

マナリア軍団の主要メンバーが落ちたことで「つかえないだろwww

 

って、思うじゃない?

 

そんなことは…ないんだよね…

 

作り手はちゃんと、マナリアウィッチでやれるように「新カードを入れ込んでいる」

 

  = ガッツリ作り込んでいる(出来合いのデッキ)

 

 

 

 

こーゆーゲーム性に関して

 

良い、悪いを論じる気はさらさらない

 

これが、「ガチカ゛チのじゃんけん」であったのならボロク●ソに言ってやろうかとも思うのだが

 

じゃんん状態にはない点が評価に値する

 

もちろん、何に強いとか弱いとか、有利不利は見え隠れするものの

 

極端なさんすくみのゲーム性にはなっていない

 

 

極端な三すくみ

かつての「絢爛セクシーヴァンパイア」「清純エイラ」「ヴァンパイアメタ」

 

手も足も出ねぇ~よ、、、、

 

って、あの感じが一番わかりやすいと思ってしまうのは私が「懐古参」だから。。

 

 

 

まずはそーゆーゲーム性になっているということを述べたうえで

 

私的には、私個人の感想として左矢印

 

そーゆーゲームは退屈でつまらないものだな~と

 

昔の、作り手がぜんぜん上手く作れていない過不足しまくりのそれを、こんなカードあんなカードで補ってオリジナリティを出して遊べるゲーム性が好きだったので

 

も~入る余地がいなんだよね

 

作り手が全部作ってしまったモノであると、これとこれとこれとこれと、それとそれとそれとそれと、あれとあれとあれとあれを使って…

 

あれれ

 

40枚きっちり埋まっちゃうじゃない!?

 

「出来合いのデッキ」 = 作り手がガッツリ作り込んだ形、モノ

 

連携ロイヤルがいい例だろう

 

色々入りそうな余地がありそうに見えて…

 

実は実戦でしっかり使えるカードというのは大方で同じ(作り手が作り込んだモノ)

 

 

 

私の好きな昔のゲーム性は、利用者皆無のあんなカードこんなカードを採用して、補ってオリジナルに遊ぶ

 

例えば「レヴィオンロイヤル」時代、「みなごろしの大剣士」みたいな、コスト5ゴールドカードがあって(当然利用者皆無、使われたことが一度もない)

 

これが、一見するとレヴィオンと何の関係もないコスト5と重たいカードが、なんとレヴィオンロイヤルの勝率を爆上げする秘密兵器だった…ということを知る者はだいぶ少ないだろう

 

当時のレヴィオン軍団は「小モノ散りばめ」でしたので祈祷エイラなどの「超大型、大型連打」に対して弱かった(例えば守護裏クルトが来ると…獲れないきつみとか)

 

これを、大剣士のファンファーレでポンっと獲る

 

それも相手ラスト進化でEP使い果たしたタイミングで「ここだぁぁ!」という絶妙のタイミングで獲る

 

大剣士自体がそこそこのハイスタッツなので相手は獲るのに苦労するし、場に残ればアタッカーとして攻めに転じて大打点を与えるカウンター攻撃だ!

 

 

あるいはロイヤルデッキで

 

「傭兵の酒場(ニュートラルカード)」みたいな名前のアミュレット

 

カード能力詳細が無いモノを…ナンタラカンタラ

 

ゴブリン、ファイター、流浪の傭兵なんかを駆使しながら守護を張って

 

コスト3、3/3で進化すると6/6に化ける「暴れる海賊」みたいな、フォロワーの進化アタックを顔に決めて戦う超オリジナル構成が、これがマジでよく勝てたりとか(猛虎…みたいな疾走付与カードがあったり、今ほどリーダー回復が多いわけではなかった)

 

 

挙げればキリがないし、今すぐに思い出せるものでもないが。。

 

当たり前の話

 

珍しい構築を作って、はぁ~満足満足…

 

するわけではなくて

 

勝てる、やれるまで込みで面白い楽しいのであって

 

ぶっちゃけ現環境は、勝てる勝てない云々ですらなく

 

そもそもが作ることすらままならないほどに「出来合いのデッキしかない」というゲーム性が厳しいのです

 

 

歌手であり、作詞作曲もこなすアーティスト「松任谷由実」にこんな言葉がある

 

「(音楽であれ、絵であれ映画であれ何であれ)」

「見る者に、想像する余地がたくさんある作品ほど良い作品である」

見る者が、想像する余地が無いほどに全部を描き切ったような作品は悪い作品だ

 

 

この御言葉は「事物の真理」みたいな感じ

 

芸術とか関係ないし、ゲームとかも関係ない

 

人間の営みに関してすべて当てはまると思うの

 

 

 

私個人としては、昔の創造性の余地ありまくりのゲーム性が好きでしたので

 

今期の、作り手がすべてを作り切ったモノをただ使うだけ

 

それらのデッキ利用を強制されるゲーム性はだいぶつまらないモノだと感じるのです

 

これは、裏を返せば誰が遊んでもちゃんとなるようになるよ~勝てますよ~という優しいゲーム性であるともいえる

 

もはや知的に相手を出し抜いて負かすという余地が無い共○主義の世界観だ!