3歳の時
知的障害を伴う自閉症と診断された息子れお。


今日は保育園の頃の話をしたいと思います。



以前ブログで
保育園時代の私はお豆腐メンタルだったと
お話させていただきました。


特に入園当初(2歳児クラス)は、
障害の受容とは程遠く、
とにかく
目立たないように目立たないように...


しかし、
保育参観となるとそうはいきませんビックリマーク

沢山の保護者の方と
長い時間顔を合わせることになります。

不安で憂鬱で仕方がありません。



以前も少しお話しましたが、
最初の保育参観は
夫と二人で参加しました。

れおは私達の顔を見たら
帰りたがってしまうのではないか。
泣きだしてしまうのではないか。
大きな声で悪目立ちしてしまうのではないかと、夫婦で気が重かったのをおぼえています。


園に到着して保育室に入ると、
予想通りれおはお迎えにきたと思い込み、
さっそく帰ろうアピールを始めてしまいました。

やっぱりねー
そうだよねー

と思いながらも
夫婦でなんとかれおをなだめながら
保育参観が始まりました。


参観といっても年齢の低いクラスは、
観覧するのではなく、
親子でお遊戯や工作などをします。

年長になってようやく
観覧するというかたちになります。


結局、
最初の保育参観は最初から最後まで、
れおはずーっと帰ろうアピールをしつづけ、
途中からは泣きだしてしまい、
私達夫婦もれおをなだめることと作り笑顔で、
時間にすれば30分程のことが、
とても長く感じ、
夫婦でクタクタになっていました。

早く終わってほしい。
まだかまだかと、そればかり考えていました。



弟のこうが生まれてからは、
れおの保育参観には夫が行ってくれていました。

あとで聞くと、
私がお豆腐メンタルだったことを察して、
自分が行きたいというように振る舞っていたそうです(笑)


勿論、
お休みするという選択もあると思います。
そのほうがれおも喜びますし、
私達も気が楽ですし、
先生も私達に気を遣わずに済むと思います。

ですが、夫はそれをしません。
なんか逃げてるみたいで嫌だったと。
修行のつもりで行っていたそうです(笑)


夫が一人で行くようになってからも、
れおの帰ろうアピールは
続いていたみたいですが、
前述のように
基本親子で何かをするというスタイルなので、
際立って目立つことはなかったようです。



そして迎えた
最後の年長保育参観
(私はこうのクラスへ)

最後は、
これまでとは違い、
保護者が園児達を囲うようにして観覧する、
小学校などでよくあるスタイルです。

夫はそんなことは知らずに参加したので、
「えー聞いてないよー💧」
みたいな感じだったそうです(笑)


果たしてれおは座っていられるのか?
帰ろうアピールは始まらないか?


夫の淡い期待もむなしく、
始まってすぐに席を立ち、
夫を指差して「パパ!パパ!」と
興奮し始めるれお。

夫も離れたところから、
なんとか落ち着かせようとしていましたが、
れおの興奮はおさまりません。
この時点ですでに目立ちまくっています。
(れおは加配をつけておりません)

すると、先生が夫に、
「パパ!れおくんの隣に行って!」
と言ったそうです。

おわかりいただけますかね?

園児達の机が並ぶ中に保護者(夫)が一人。
他の保護者の視線を浴びまくるこの状況。

そんな状況の中、
夫が何を思っていたのか聞くと、

「先生、ありがとうございます」

だそうです。
ありがとう?
ん?どういうこと?

夫は先生に言われなくても、
れおの近くに行っていいですか?と
聞こうと思っていたそうなのです。

ですが、
それよりも早く声をかけてくれたこと。
れおのクラスは先生が一人ではなかったので、
他の先生がれおに付くこともできる状況の中、
夫に声をかけてくれたこと。

私とは違い、
ほぼ先生と接することがない夫が、
どこまで障害を受容しているのか、
そんな状況にしてしまって大丈夫だろうかと、
先生も判断が難しかったであろうこと。
あの状況でクラスが変な空気になることもなく、上手に明るく参観を進行してくださったこと。


そのお陰で夫は、
れおと最後の保育参観を楽しく過ごし、
良い思い出を作ることができたそうです。


れおとこうの保育園は、
夫も昔通っていた保育園で、
当時の先生もまだ何名か在籍しており、
この先生もその中の一人です。
とても明るく元気で、子供目線・親目線でいつも接してくださる保育士の鏡のような先生です。


夫は、
「あの状況・あのタイミングで僕に声をかけ、あの進行ができる先生は、そんなに多くないと思う」
と言ってました。

この先生に限らず、
れおを受け持ってくださった先生は
皆すばらしい先生ばかりでした。


そして、
子は保育士の鏡とも言われているように、
お友達もれおに優しく接してくれていました。


運動会、音楽会、保育参観など、
行事に参加すると
沢山のお友達がれおの手を引いて助けてくれているのがわかります。


クラスの班分けの時につける名前を
「れおくんチーム」
お友達が名付けてくれたこともありました。


先生がれおのことを子供達に
どのように話していたのかはわかりません。


勿論、
迷惑をかけてしまったことも
戸惑ってしまうことも
嫌な思いをさせてしまったことも
沢山あったと思います。

ですが、
幼児期にハンディのある人と関わったことは、
お友達にとっても決してマイナスだったとは思いません。

れおは支援学校に進みましたので、
皆とは離ればなれになってしまいましたけど、
あの優しい子達が今度は小学校で、
支援級の子に寄り添ってくれたり、
いじめ撲滅隊として
成長してくれたら嬉しいなぁと思っていますおねがい


*今回のお話にでてきた先生は、今こうのクラスを受け持ってくださってます(笑)


▼入園式の日の写真です。(懐かしい)


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