病気に気付くまで | 骨髄異形成症候群→急性骨髄性白血病

骨髄異形成症候群→急性骨髄性白血病

23歳。2017.08骨髄異形成症候群と診断され急性骨髄性白血病に移行。臍帯血移植しました。家族の為必死に生きます!



おはようございますピンクハート
今日はなんとなく体調良さげなので
ちょっと更新してみます(笑)


以前誤操作で記事が消えてしまったから、
改めて書こうと思って(゙ `-´)/
私が病気に気付くまでの経緯雷


私は23歳普通の女子でした(笑)
3歳の息子がいますラブ
主婦兼パートをしつつ日々過ごしてて。

今まで大きな病気も、
風邪すらもそんなに引かない方でした!

子供を出産して、2年くらい?経った時に
よく熱を出すようになりました。
あー子供産んだら体質変わるとか言うしな。
くらいに思ってました。
解熱剤飲めば治る!って!

それから、ぶつけた覚えがない所に
特に脚!ふくらはぎ!痣が出来たりして、
んーなんでだろーっ
まあ痣出来やすいんだなって流してたり
(都合よすぎるw)
そんなに重要視してませんでした!

それから2017年になって、夏頃から
動悸、疲れやすさをいつも以上に感じるようになって、
働くのもやっと、身体が言うこと聞かなくて、
子供とお昼寝しないと動けない。。ってなり、
終いには家の前の坂を登るのもキツくて、
あーなんかおかしい。。って思い始めてガーン


母親に相談し、顔色も悪いから
病院できちんと検査してって言われて、
あー病院嫌い。って思いつつ
(今では母の言葉に感謝)
血液検査してもらい、次の日に即病院呼び出し。
紹介状貰い、旦那さんに連絡。

ただごとじゃないと思った旦那さん、
急いで来てくれて、、
その日が土曜で緊急外来で診て貰い、
月曜マルクをし、病名発覚。


最初は急性骨髄性白血病と言われ、
私は冷静さの中にこれからどうしようって固まる。
あぁやっぱりおかしかったんだ。って実感。

旦那さんは泣き崩れてしまい、撃沈。
(そりゃそうですよね。本人より辛いよね。)


次の日
芽球の割合をみて骨髄異形成症候群に病名変わり、
けれど完治には移植しかないと話をされ、
私は完治しか考えてなかったから、もちろん移植を決意。

実はこの年の秋に結婚式を控えていて、
どうしても式だけは挙げたいと思っていたから、
骨髄異形成症候群で、外来輸血で補って
移植に備えるって話になった時はホッとした。
急性骨髄性白血病のままだったら、
次の日にはカテーテルを入れて即治療。
髪の毛も抜けてしまうから、
結婚式も見送りか、、って思ったからショボーン

そんなこんなで無事式は挙げられ、
けれども移植を待っている間に
芽球の割合が増えてしまって急性骨髄性白血病に進行。
式の2日後には入院して寛解導入療法受けました!

寛解導入療法は二回、その後一時退院をし、1/8に再入院。
移植の前処置を終え、臍帯血移植を終え、生着待ち。

そんなこんなで、乗り越えて乗り越えて、
今に至りますキラキラ


もう盛り沢山でしょ。と言いたい(笑)


不意に襲われる孤独感、恐怖心、
辛い副作用、長い入院、
心がエグられて旦那さんにあたったり、
こんなに辛いなら、、なんて思った日も
あったし。
きっとこれからもあると思うショボーン


けど白血病になって気付けたこと、
これからどうやって生きていくか、
これからの人生の目標、
経験を糧にすれば良い方向に行くはずウインク
って思ってます

まずは主婦業と社会復帰を目指して!
大好きな息子、旦那さんと
無菌室を出てハグしたいですおねがい

私は病気を知らせたのは親族と
本当に信用してる友人のみです。

だから知らせてる友人には
無菌室を出たら知らせると伝えて、
待ってもらってますニコニコ
皆忙しいのにメッセージをくれたり、
そんな心遣いにもまた嬉しい涙が出る。


今日も、乗り切ろう!!


弱音を吐く日も思いっきり泣く日が
あっていい、
それでも1日はきちんと終わる!!!