『連続無窮』 -41ページ目

「おにぎりが食べたい」

「末世」通信 NO.2

 

 少し前になるが、生活保護の支給をうち切られた男性が、日記に「おにぎりが食べたい」という言葉を記して餓死したというニュースがあった。普通の福祉行政では、生活保護をうち切るのは、その人が仕事に就いていて、収入が入ることを確認してから、だという。しかし、今度は、そうした手続きは一切なかったという。本人がうち切ってもらいたい、と申告してきたから、うち切ったという。その人は重い病気を患っていた。簡単に就職などできるわけがなかったにもかかわらず、打ち切りを申告した。そこに無理があったのは明らかだ。というのも、こうした、ひどいケースが出てくる背景には、現行の福祉行政では、生活保護をうち切ることがノルマになっている事情があるからだ。行政による脅しとか嫌がらせのために、生活保護を受けられなくなった人たちのことも紹介されている。いったい、だれのための行政なのか!


 そういえば、もっと腹立たしいことがあった。それは、社保庁の職員たちが、「年金問題の責任」をとって、ボーナスを返上する、というニュースだ。ボーナスを貰うことは、勤労者の当然の権利である。しっかり貰った上で、自分たちが本来果たすべき義務や責任をいかに誤魔化して来たかを、自らの手で明らかにするべきではないのか。ボーナス程度を、しかも政府の言いなりで返上して、「責任」とやらを逃れるというのは、あまりにも卑劣ではないか。ここでも、だれのための行政なのか!と叫びたい。首相たちは、ボーナスを返上しておけば、世論も収まるとでも思っているのか。国民を馬鹿にするのもほどほどにしてもらいたい!


 今となれば、古い言葉だが、戦後の役人たちは「公僕」とよばれた。国民に奉仕する、ということが行政マンの基本的スタンスであった。それは政治家にも、司法関係者にもあてはまる。そもそも憲法自体が政治家や官僚たちが自分たちの野心で動くことを牽制・禁止するためにつくられたものだ。それがなんということか、政治家や役人が国民を縛るために利用して久しいではないか。


 せめて、「おにぎり」くらい食べて、この世に別れを告げることができるようにはならないものか!あの返上されたボーナスはどこへゆくのか。国庫へ戻るだけなのか。


 わが尊敬する「激高老人」が、今年の増税に緻密に反論されている(詳しくは 激高老人のぶろぐ をみてほしい)。かくいう私も、乏しい年金から、つぎつぎと税金やら健康保険やら介護保険金を天引きされて、「激高」せざるをえない。「激高老人」に習って、緻密に、反論の弁論術を磨きたいものだ。(アーさんより)

あゝ「末世」! 

「末世」通信 NO.1


 7月はじめ、京都のさるお寺をたずねた。蓮の花で有名になっていたので蓮を見たかったのだ。しかし、なんと、寺の入り口に大きな看板があって、2日前に「蓮の花がすべて盗まれました」とあるではないか。本堂の前にゆくと、たしかに並んだ鉢には蓮の葉ばかりで、花は一茎もなかった。どうしたことかと寺務所をたずねてみると、修行僧らしい人が、こんなことははじめて、多分、プロが切り取って売りに出したのではないか、という。果物や畑作物、米が盗難に遭うということは何度もニュースになっていた。しかし、寺院の蓮の花が盗まれるとは!ちなみに、蓮の花は仏教徒が一番大切にしている花だ。いうまでもないが、泥の中に根をもちながら、美しい花を咲かせる様は、煩悩に苦しみながら悟りを求めるすがたをよく示している。

 

 加えて驚いたことがもう一つあった。寺の庭の巨木が無惨にも丸坊主になっていたのだ。いや、丸太状態になっていたといってよいだろう。太い枝を僅かに残して、しかもその枝も幹の近くでばっさり伐られている。理由をたずねると、冬の落ち葉が近所の住民から嫌われて、ついに枝を伐る羽目になったのだという。昔の住民は、落ち葉を風流とうけとり、少々の掃除の手間も苦にしなかったが、最近の住民は、落ち葉を迷惑として寺院を糾弾するのだという。大樹はときにクーラー100台分の冷房効果を持つともいう。緑がどれだけ心を慰めてくれるか、都会に住む人間は身にしみて知っているはずなのに・・・・お寺の方も、落ち葉が迷惑ならば私たちが掃除にゆきますから、堪忍してくれませんか、といえなかったのであろうか・・・・坊さんが落ち葉の溜まるたびに掃除に出向けば、住民とも「対話」がうまれはしなかったのか・・・・所詮は通行人の独り言だが。

 

 「末世」といえば、ついに「平和」であることが憎しみの対象となる時代になったとか(『論座』2007年8月号「平和を生きのびる」ために 「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への体験的応答)。「格差社会」は、「平和」が「希望のない閉塞状況」を意味し、その閉塞状況を打破してくれるものはたとえそれが戦争であっても歓迎する、という若者たちを生み出したのだ。いよいよ正念場だぞ。


(アーさんより)

阿満利麿 講演会などイベント情報 ほか

『連続無窮』の創刊号と第2号は、おかげさまで 在庫僅少!です。

重版は未定ですので、お求めはお早目に・・・。


なお、第3号は2007年8月30日に発行を予定しております。

ご予約や定期購読をご希望の場合は、

メール( renzokumukyuu@yahoo.co.jp )にてお申込みください。

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●仏教公開講座 「非暴力の願い」 【終了】


 講 師:阿満利麿


 日 時:2007年7月20日(金) 午後6時30分より

 会 場:岐阜市・岐阜別院本堂

 連絡先:058-266-1378



●専修念佛塾


 講 師:阿満利麿


 第5回 「親鸞の本願論」 【終了】

 日 時:2007年7月30日(月) 午後7時~9時 

                    午後6時半~9時


 第6回 「観経のこころ」 【終了】

 日 時:2007年7月30日(月) 午後2時~4時

          9月23日(日) 午後2時~4時半


 会 場:法然院サンガ

      〒606-8422 

      京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30番地

      法然院 内


 申込み:法然院  電話 075-771-2420

             Eメール Byakurenja@aol.com


 ※会費1,000円、先着50名。定員になり次第受付終了。

   詳細は法然院のホームページで。

   http://www.honen-in.jp/

「死んで罪を償うよりも、生きて罪と向き合ってほしい」――死刑制度を考える

今月、「Ocean 被害者と加害者の出会いを考える会」という
NGOが設立されました。
犯罪の被害者や遺族と、加害者とが対話を望む場合に、
その手助けや橋渡しの活動をするとのことです。


会の代表・原田正治さんは、1983年に、
実の弟を保険金目的で殺害されました。
当初は交通事故死とされていましたが、
後日、弟の勤め先の社長ら3名による
殺人事件であったことが判明したのです。
この日から、原田さんたち遺族は
苦しい日々を送ることを余儀なくされます。


犯人への憎しみと、
自分たちの生活を破壊されたことへの怒り、
そして何より、遺族の苦しみを
わかってくれる存在がいないという孤独に、
原田さんは打ちのめされます。


その後、犯人である元社長は死刑判決を受けながら、
被害者である弟と、原田さんら遺族への謝罪を手紙にしたためます。
最初はほとんど読まずに捨てていた原田さんでしたが、
やがて「手紙をくれたお礼をしたい」と気持ちに変化が表れました。


その後、死刑制度を考える集会に顔を出したり、
実弟を殺害した死刑囚との面会を果たし、
最終的には法務大臣に対し死刑を執行しないでほしいとの
上申書を提出するに至ります。


「被害者や遺族の気持ちを考えれば死刑は妥当」
という意見に、原田さんは
おおよそ次のように答えてらっしゃいます。


遺族をかわいそうな人たちと同情し、
あたかも遺族の意見を代弁するかのように
「死刑にせよ」と言うだけではなく、
遺族の肉声に耳を傾けてほしい、と。


殺人事件の被害者遺族が、
どうして死刑制度を考え直すようになるのか、
その詳しい過程は一冊の本に記されています。


私は、この会の設立のニュースをきき、
心にたれこんでいた灰色の雲が少しよけて、
うっすらと晴やかになるような気がしました。


しかし、会の運営は生半可ではない、
大変なことだろうと思います。
自分の家族を傷つけた人間が、改心してくれれば、
それは確かに救われるかもしれません。
しかし、加害者が憮然とした態度を取りつづけたり、
時に被害者や遺族を侮辱したり挑発したりするような、
そんな受刑者もいます。


悪態をつき、無反省と取られてもしょうがないような
受刑者たちとどのように向き合っていくのか。
彼らがなぜそのような態度をとるのか、
またはなぜそのように振る舞わざるをえないのか、
根気よく対話を続けなければならないであろうし、
それは被害者や遺族にとって、
大変に苦痛な作業であると思います。


わたしもぜひ一緒に考えていきたいし、
できれば会を応援していきたいと思っています。


                          (くにきっち)


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犯罪被害者:「加害者との出会いを考える会」
4日に設立 (毎日新聞より)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070604k0000m040113000c.html


弟を殺した彼と、僕。

原田 正治, 前川 ヨウ

阿満利麿講演「宗教と政治 ―相反する二つの精神」 ~念仏法難800年を考えるつどい~

 ▲讃岐国に流された法然の図

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先日も当ブログでお知らせしましたが、しつこく告知いたします。
本誌同人でもある阿満利麿が記念講演を行う
「念仏法難800年を考えるつどい」は、
明日9日(土)午後1時からです。

毎日新聞のウェブサイトでも紹介されています。
浄土系4宗派:建永の法難から800年で「つどい」― 9日・東山/京都

◇宗教の役割見直す機会に

http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/news/20070607ddlk26040570000c.html


会場では、同人誌『連続無窮』の即売もいたします。

ぜひお出かけください。

・:・:・:・念仏法難800年を考えるつどい ・:・:・:・

日時:2007年6月9日(土) 13:00から
会場:知恩院・和順会館

    (京都市東山区林下町400 ℡ 075-541-5141)

参加費:1,000円


スケジュール

12:30 開場

13:00 開会
13:45 シンポジウム 「念仏法難800年」をいかにとらえるか
14:45 記念講演 講師・阿満利麿
      「宗教と政治 ―相反する二つの精神―」 

16:00 念仏行脚
17:00 法要
17:30 解散


主催:「念仏法難800年を考えるつどい」 

    代表・藤内和光氏


詳しくは下記URLで。

会場地図などご覧いただけます。

http://park3.wakwak.com/~myokenji/hounan.htm