松田聖子「風立ちぬ」解説

 

 

2025年10月に、“Seiko Matsuda Composer Series”の一環で、大瀧詠一作品を集めた「Seiko feelings -Eiichi Ohtaki Works-」が出ました。

これを機に、大瀧詠一さんが作曲した松田聖子の名曲「風立ちぬ」のルーツソング20曲をまとめてご紹介します。
「風立ちぬ」の“1/20(二十分の一)の神話”をご覧ください。

 

1章 基幹となった曲

2章 エッセンスになった曲(べーシック編)

3章 部分的なパーツに影響を与えた曲(マニアック編)

 

↑目次を開いてください。トップへ戻るときは「戻るボタン」ではなく上へスライドして戻ってきてください。
 

松田聖子 「風立ちぬ」

 

この動画を基準にして以下の各章で説明いたします。

 

第1章 基幹となった曲

1-1 ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ 

ジミー・クラントン 「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」(1962年)

 

ジミー・クラントンの「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」(Venus in Blue Jeans)は、「ブルー・ジーン・ビーナス」という邦題で発売されました。
ジャック・ケラーによる作曲ですが、なんとニール・セダカの作品だとミスプリントされたまま世に出てしまったのですね。

 

大滝詠一さんは、ジャック・ケラー作品の中では「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」が一番好きだと語っていたものです。
ジャック・ケラーの作品集を聴いてみると、たしかに最もキャッチーなのは「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」ですね。

 

「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」は「風立ちぬ」の根幹となるルーツソングの一つで、以下の箇所でモチーフとして引かれてきているようです。

・(上掲の「風立ちぬ」の動画の)0:08~のイントロの三連符へ

 

以下、同様に…。

1:57~の「♪ あーなたの(胸にー)」の歌メロの旋律へ
2:08~のサビ後半の「♪ 今日から私は(心の旅人)」の旋律の流れや譜割へ
0:11~2:15~の(歌い出し)サビや間奏で、ストリングスの旋律が下っていくそのモチーフへ
4:24~のエンディングの三連符で、上っていくメロディへ

 

1-2 星空のプレリュード

スラップスティック 「星空のプレリュード」(1979年)

 

声優グループ・スラップスティックが'79年12月に出したアルバム「青春恋愛論」に収録されている隠れた名曲。

ナイアガラ関連のレコード売り上げが低調で、日本コロムビアとの新作リリース契約も切れ、福生のプライベートスタジオの機材も売り払った大滝詠一さんが、不遇な時期に臥薪嘗胆を期して提供した曲です。

 

この時期にスラップスティックへ提供された5曲のうち、メロディアスなタイプは3曲あって、うち2曲は大滝さんの「恋するカレン」と「スピーチ・バルーン」へ転生。
その流れで残る1曲の「星空のプレリュード」を転生させるというのが、大滝さんにとって「風立ちぬ」創作の主眼だったと思われます。

 

両曲のつながりは、以下のとおりです。

・「星空のプレリュード」のサビ全体のコード展開が、そのまま「風立ちぬ」のサビへ転用
・サビ前の平歌(Verse)の部分をドラマチックに展開させずにもったいぶるメロディ展開
・「星空のプレリュード」の2:27~の「♪ Woo Woo Woo~」は、「風立ちぬ」の3:47~での大滝さんのファルセットのボイス「♪ アーアーアー」へ(詳しくは2-8項で後述)

 

さらにもう一つ。
「星空のプレリュード」の1番の終わりで「♪ それは遠い おとぎ話」に続く1:18~からの、「♪ (I love you love you) ウォウォウォ 」と3回リフレインするところ。
ここでは、「風立ちぬ」の「♪ SAYONARA SAYONARA SAYONARA~ 」と3回リフレインするメロディを、重ねて歌えます。
ぜひお試しください。

 

1-3 ダイアナ

ポール・アンカ 「ダイアナ」(1957年)

 

ラジオ番組『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』で明かされた大滝さんの研究成果によれば、「ダイアナ」で「♪ ドンドコ ランカン タンカンタンカン」(早口で歌ってください!)というリズムギターを演奏しているのが、アル・カイオラなのだそうです。
このフレーズは往時のロックンロールやポップスで頻出しますが、その多くをアル・カイオラが弾きまくっているのだとか。

 

風立ちぬ」で刻まれる基本リズムがまさにこれであり、カスタネットなど何かしらのパーカッションが、「♪ トントコ ランカン タンカンタンカン」のリズムを曲中で常に刻んでいます。

とりわけ、「風立ちぬ」のサビでは、ギターでなくハモンドオルガンが、その基本リズムのリフを華麗に奏でていますね。

Hammond Organ

 

 

第2章 エッセンスになった曲

「ダイアナ」の"アル・カイオラ・リズム"に「星空のプレリュード」や「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」を乗せるだけでなく、様々な楽曲由来のメロディやリズムやサウンドがフックとして投入されている「風立ちぬ」の秘密を、順番に見ていきましょう。


2-1 キス・ミー・セイラーとネイビー・ブルー

 

ダイアン・リネイ 「ネイビー・ブルー」(1963年)

 

この曲の歌い出しが「風立ちぬ」の間奏のメロディのモチーフにされていますね。
ナイアガラー(大滝詠一ファン)の中には、「風立ちぬ」の間奏で「スピーチ・バルーン」を思い浮かべる方もいるようです。
ナイアガラーにはおなじみのボブ・クルーがプロデュースし、曲作りにも参加しています。
編曲は、これまたナイアガラーにおなじみのチャーリー・カレロが手掛けました。

 

【参照】 ボブ・クルー: 長文読解「君は天然色」 の 第2章「がんばれば愛」とボブ・クルー

【参照】 チャーリー・カレロ: 「EACH TIME」解説#1 「夏のペーパーバック」

 

ダイアン・リネイ 「キス・ミー・セイラー」(1964年)
 

「キス・ミー・セイラー」の前奏と後奏では、「風立ちぬ」のイントロのメロディが流れてきますね。
前作の「ネイビー・ブルー」の続編としてリリースされたのが「キス・ミー・セイラー」で、ダイアン・リネイ自身はこちらの方が、よりお気に入りだそうです。

 

2-2 恋の雨音と悲しき雨音

風立ちぬ」では チェレスタ の音が要所要所で鳴っています。
どんな音なのか、映画『ハリー・ポッター』のメインテーマをチェレスタで演奏する動画でご確認ください。

Harry Potter Theme on a Celesta

(↑クリックorタップしてご覧ください、以下同じ)

 

チェレスタが印象的な曲といえば、やはり大滝詠一さんが大好きなグループ、カスケーズのナンバーが思い浮かびます。
1-2項の「星空のプレリュード」の動画のイントロをあらためて聴いていただくと…。
そう、カスケーズの「悲しき雨音」になっているのです!

 

「悲しき雨音」(1962年)

 

【参照】「悲しき雨音」:「バチェラー・ガール」を4倍味わう方法 の第4章

 

カスケーズ 「恋の雨音(For Your Sweet Love)」(1963年)

 

2-3 ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー

風立ちぬ」では、サビ始まりで「♪ 心のたーび~びとー」と歌い上げてから、「♪ 涙顔見せたくなーくて」と平歌(Verse)が始まるまでの2小節ほどの間で、ストリングスが16分音符を刻んでいます。

この刻みが、「風立ちぬ」でフックの効果を発揮していますね。

ヒントになったのは、「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」だと思います。
キャロル・キングが作曲した名曲です。

 

シュレルズ 「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」(1960年)

 

耳を澄ますと、冒頭からストリングスが16分音符を演奏し続けているのが分かります。
出だしの歌詞は「今夜 あなたは私のもの」ですから、「今夜 君は僕のもの」の裏返しですね。

 

2-4 かなわぬ恋

風立ちぬ」の曲中、上記2-3項のタイミングでストリングスが16分音符を刻んでいるときのコード進行は、こうなっています。
Bb - Bb6 / BbM7 - Bb6 」 
和音のトップノート(一番上の音)が動くクリシェ・タイプのコード展開です。

 

大滝詠一 「カナリア諸島にて」

 

大滝詠一さんの「カナリア諸島にて」は「風立ちぬ」と同じ「 Bb 」のキーですが、

♪ 薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かーべ…
という歌のメロディから、同様に「 Bb - Bb6 / BbM7 - Bb6 」というコード展開を感じ取れますね。

 

これを便宜的に "薄く切ったオレンジのナイアガラ・コード進行" と呼ぶことにしましょう。 

 

16分音符リズムを刻む「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」の作曲者はキャロル・キングで…。
そのキャロル・キング作品の中で、 "薄く切ったオレンジのナイアガラ・コード進行" が特徴的な曲といえば…。

スティーヴ・ローレンス 「かなわぬ恋」(1962年)

 

イントロでのんびりと"薄く切ったオレンジのナイアガラ・コード進行"が聞こえてきますね。
大滝さんのラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の第1、2回はキャロル・キング特集でしたが、この「かなわぬ恋」も選曲されていました。

 

スティーヴ・ローレンスは「恋はボサ・ノバ」で知られるイーディ・ゴーメと夫婦で、「恋はボサ・ノバ」は大滝さんの「恋はメレンゲ」のモチーフになっていますね。

 

さらに、この夫婦の陽気な名曲「噂のうわさ歌っちゃお」もキャロル・キングが作曲していますが、大滝さんの「FUN×4」の…

♪ さーあーポーカーなら~ エースのフォー・カ~ド
♪ いーまー つーきまくった ぼくに賭ーけーな~よ~

のところに引かれていますね。

 

【参照】「FUN×4」を4倍楽しむ方法の第4章

 

「かなわぬ恋( Go Away Little Girl )」に話を戻して。
この曲は全米1位を記録しましたが、オズモンズのメンバーのダニー・オズモンドが'71年になってカバーしたバージョンで、再び1位に輝きました。
プロデューサーのリック・ホールによる新たなトリートメント具合は絶妙で、素晴らしい出来でした。

Donny Osmond 「 Go Away Little Girl 」(1971年)

 

2-5 オシャレさん

風立ちぬ」でのナイアガラ・サウンドを特徴づけているのは、チェンバロの響きです。

 

大滝詠一さんのCMソング「オシャレさん」は、'79年1月に録音されていますが、このときに“ナイアガラ・サウンド featuring チェンバロ”が完成したともいえます。

大滝詠一 「オシャレさん」(頭出し済)

 

それ以前からも、シリア・ポール版の「夢で逢えたら」などで大滝さんは好んでチェンバロを使っていましたね。

“ナイアガラ・サウンド featuring チェンバロ”のルーツを辿っていくと、ザ・サークルの「ドント・リーヴ・ミー」あたりに行きつくのかもしれません。

ザ・サークル 「ドント・リーヴ・ミー」(1966年)

 

2-6 ビッグ・スター

大滝詠一さんの言によれば、アルバム「風立ちぬ」のA面の曲は「ロング・バケイション」の次の各曲と呼応するように作ったのだそうです。
「君は天然色」=「冬の妖精」
「雨のウェンズデイ」=「ガラスの入江」
「恋するカレン」=「一千一秒物語」
「FUN×4」=「いちご畑でつかまえて」

 

これらは、リズムやサウンドの組み立てが共通しているので合点がいきますね。
では、楽曲「風立ちぬ」にあてはまるのはどの曲かというと…。

 

「カナリア諸島にて」=「風立ちぬ」の関係なのだそうです。
しかし、これら2曲の共通項といえば、2-4項でふれた以下のコード進行くらいのようで…。

Bb - Bb6 / BbM7 - Bb6 」 
 

もう一つ、共通項がありました!

 

米国のホームドラマ『ドナ・リード・ショー』です。

同ドラマは『うちのママは世界一』と改題して、日本でも'59年から'63年にかけて放送され、少年時代の大滝さんを魅了していたと思われます。

大滝さんはドラマの中でポール・ピーターセンが歌った「 Keep Your Love Locked 」をモチーフにして、「カナリア諸島にて」のメロディを紡いでいったと推察されるのですが…。

 

【参照】レモンじゃない理由「カナリア諸島にて」 の第2章 うちのママは世界一

 

そのドラマ『ドナ・リード・ショー』の中で、女優で歌手のシェリー・フェブレーが歌ったのが、「ビッグ・スター」でした。

 

シェリー・フェブレー 「ビッグ・スター」(1962年)
 

お聴きのように、「風立ちぬ」のヴァースの部分の…
♪ 涙顔見せたくなくて
♪ すみれ・ひまわり・フリージア
の箇所で、メロディの下敷きにされていますね。

 

ちなみに、シェリー・フェブレーは同じ'62年の2月に同ドラマ中で「ジョニー・エンジェル」を歌って、4月には全米1位に到達。
続いて5月に出した「ジョニー・ラヴズ・ミー」もヒットさせましたが、これをもとにして大滝さんが作ったのが「快盗ルビイ」(小泉今日子)でした。

 

さらに同年の8月にシェリー・フェブレーがスタンダード・ナンバーをカバーして出した「の思い出(The Things We Did Last Summer)」は、大滝さんの「カナリア諸島にて」の「 あーのー焦げだした に酔いしれ~」のメロディ展開に引かれました。
"曲先"で作られたのに“”つながりになった「カナリア諸島にて」の制作過程が興味深いものです。

 

シェリー・フェブレーの「ビッグ・スター」がレコード発売されたのは同年の12月(国内では年明け)で、ドラマ内では秋に歌われていたのかもしれません。

まわりまわって「カナリア諸島にて」と「風立ちぬ」は、やはり呼応し合っているのだと確認できましたね。

 

2-7 ヴィーナス

風立ちぬ」の1:21~で「♪ 一人で生きてゆけそうねー 」と歌われるのに続き「♪ Ah Ahh Ah Ah Ahh 」という女声コーラスが聞こえてきます。
 

このフレーズは、フランキー・アヴァロンの代表曲「ヴィーナス」から引かれていると思います。

 

フランキー・アヴァロン 「ヴィーナス」(1959年)

 

コーラスと一体化した「ヴィーナス」のドリーミーなサウンドは、大滝詠一さんを虜にしたようです。

出だしから聞こえてくる「♪ Uh Uhh Uh Uh Uhh 」というフレーズは、「風立ちぬ」のほか「恋するふたり」(大滝詠一)にも登場します。

「四月のラブレター」(松田聖子)では、「ヴィーナス」が曲全体の下敷きにされていますね。

 

2-8 悲しき朝やけ

第1章の1-2項でふれた大滝詠一さんの「♪ アーアーアー」というファルセットが、「風立ちぬ」の3:47~のところへ織り込まれている件について…。

 

その直前に、2拍3連のリズムで“上がって→下がってくる2小節”のフレーズも含めて、あらためて以下の動画でお聴きください。

大滝さんは「風立ちぬ」のクライマックスをここに設定して、2小節のうちの“下がってくる1小節”の2拍3連の5音のみを、レコ―ディングのときに全員でもう一度演奏して重ね、音の厚みを演出したのだそうです。

「風立ちぬ」の2小節の2拍3連と大滝さんのファルセット(頭出し済)
 

ここは、フォー・シーズンズの「悲しき朝やけ」のココをヒントにしているのでしょう。

フォー・シーズンズ 「悲しき朝やけ」(1964年、直前から頭出し済)
 

ナイアガラにおける重要曲、「悲しき朝やけ」の冒頭の独立したヴァースは「夏のペーパーバック」の前奏の下敷きになり、また、「悲しき朝やけ」の前奏は「恋するカレン」のイントロへ引かれていると思います。
 

 

第3章 部分的なパーツに影響を与えた曲
 

この章で登場するのは、聖子ファンはもとより、万人向けというよりナイアガラー向けの要素です(笑)。

 

3-1 雨の中の二人

2-4項でも取り上げた「風立ちぬ」の前奏や間奏でストリングスが刻む以下のコード進行について…、

Bb - Bb6 / BbM7 - Bb6 」  
大滝詠一さんは過去のライナーノーツなどで次のように述べていました。

 

 

風立ちぬ」や「カナリア諸島にて」、シリア・ポールとのデュエット曲「The Very Thought Of You」などで聞かれるこのコード進行と橋幸夫とを結びつける指摘に対して、大滝さんはユーモアと皮肉を込めてこう返していました。

 

 

しかし、大滝さんが皮肉を込めて否定する場合、案外“図星”であるケースがあります(笑)。

例の"薄く切ったオレンジのナイアガラ・コード進行" と16分音符の刻みとを融合させるアイデアの源のうち、幾分かは本当にこの曲に由来するのかもしれませんね。

 

橋幸夫 「雨の中の二人」(1966年)

 

藤井風によるこの曲のピアノ演奏を聴くと、当時としてはハイカラな利根一郎の作曲センスが実感できます。
利根一郎は橋幸夫に「霧氷」も提供していますが、大滝さんの「想い出は霧の中」のメロディの3%くらいに影響を与えている気がします(笑)。

「雨の中の二人」ピアノ演奏(藤井風)

 

3-2 渚のうわさ

大滝詠一さんが筒美京平作品の中で一番好きだという弘田三枝子の「渚のうわさ」。

大滝さんはラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』で「坂本九&弘田三枝子」特集を組むなど、'70年代に同番組で流れた彼女のナンバーはのべ20曲を超えており、彼女のことがお気に入りでした。

弘田三枝子 「渚のうわさ」(1967年)

 

曲中の2:02~の「♪ だーれも知らない 」のメロディには、「風立ちぬ」の「♪ もう泣くなよと 」のところの雰囲気を感じますね。

 

3-3 涙の連絡船とからたち日記

出来上がったのは「SAYONARA」が3回だけど、元は1回なのよ。
(3回繰り返す)市川昭介さんの“汽笛が”とか、遠藤実さんの”からたち”も。
(もとは1回の)“からたちの花”しかないと。
だから(3回繰り返したのは)歌謡の王道を行ってたんだよね、たまたま。
先にメロディを作ってたから足りなくなるのだけど。
by大滝詠一

都はるみ 「涙の連絡船」(1965年、“汽笛が”の頭出し済)

 

島倉千代子「からたち日記」(1958年、“からたち”の頭出し済)

 

松本隆氏の証言でも、当初書いた詩では「♪ SAYONARA」は1回だったそうです。
それを、大滝さんが3回リフレインさせた理由とは…。

 

実際のところは、「星空のプレリュード」の終結へ至る曲展開をそのまま下敷きにして、「風立ちぬ」のサビ前で盛り上げていくためには、あてはめる歌詞の尺が足りなかったからですね。

第1章の1-2項の最後で述べたように、「星空のプレリュード」と「風立ちぬ」の両曲の当該箇所を重ねて歌うと、それが実感できると思います。

 

3-4 可愛いベイビー

“大瀧詠一作曲”の作品を聴いていると気づく特徴に、“メロディラインが上がってストンと下がるのをくり返す”というのがあります。
風立ちぬ」では、「 いーま~は~」のところです。
「恋するカレン」なら「 (キャンドルを)暗く し~て~」のところで。
「幸せな結末」なら「 Baby you're mine ヨ~ァ マ~ィン 」のところで。

 

【参照】ナイアガラ・ノコギリ波メロディ

 

昭和歌謡は日本語歌詞の抑揚に合わせて旋律がつけられていましたが、大滝さんの生み出すそれは、洋楽のメロディが英語のアクセントの強弱に沿っていることに、影響を受けているのでしょう。

 

コニー・フランシス 「可愛いベイビー(日本語版)」(1961年)

 

この曲の「♪ かわい~ベイビー」のメロディも「♪ Pretty little baby 」という英語のアクセントに基づき、“上がって下がってをくり返す”スタイルですね。

大滝さんの「魔法の瞳」の「♪ Magic in your eyes ~」のメロディにそのまま染み込んでいます。

 

3-5 Run to Him

2-4項、3-1項で取り上げた「 Bb - Bb6 / BbM7 - Bb6 」という "薄く切ったオレンジのナイアガラ・コード進行"。
キャロル・キングが作曲してスナッフ・ギャレットがプロデュースした、ジーン・マクダニエルズの名曲「帰らざる夢(Point Of No Return)」のイントロでも、それは流れてきます。

ジーン・マクダニエルズ 「帰らざる夢」(1962年)

 

そのキャロル・キングのほか、作曲家のヘレン・ミラーもまた "薄く切ったオレンジのナイアガラ・コード進行"を多用していました。
【参照】ヘレン・ミラー:  匠の名曲、ダンスが終わる前に の第2章 匠の作曲術

 

しかし、「風立ちぬ」の基幹ルーツソングの「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」を作曲したジャック・ケラーの作品には、  "薄く切ったオレンジのナイアガラ・コード進行" は稀有で…。

 

いえ、ありました!

 

Bobby Vee 「 Run to Him 」(1961年)

 

ラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』で作曲家のジャック・ケラーを取り上げた特集のときに、「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」と一緒に、大滝詠一さんがかけていたのがボビー・ヴィーのこの曲です。

大滝さんの「風立ちぬ」を巡るイメージの中で、左岸の "薄く切ったオレンジのナイアガラ・コード進行"  と 右岸の「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」とを結ぶ "連絡橋" のような曲になったのかもしれませんね。

 

3-6 I Wonder

私はこの楽譜のようなリズムパターンに「ナイアガラ必殺リズム」と名づけました。
 

"ナイアガラ必殺リズム"が登場するナイアガラ楽曲を挙げると…。
「恋するカレン」「冬のリヴィエラ」「熱き心に」「ダンスが終る前に」「幸せな結末」「So Long」などとたくさんあります。

 

【参照】ナイアガラ必殺リズムと「恋するカレン」

 

そのリズムパターンのルーツが、ロネッツのバージョンで知られる「 I Wonder」であり…。

The Ronettes 「I Wonder」(1964年、直前から頭出し済)

 

この“ナイアガラ必殺リズム”が「風立ちぬ」からも聞こえてきます。

 

「えっ、『風立ちぬ』にあったっけ?」という方は、以下の動画であらためてご確認ください。
しっかり4小節、演奏されています。

「風立ちぬ」の“ナイアガラ必殺リズム”(直前から頭出し済)

 

続いて、3-7、3-8項も「風立ちぬ」の終奏(アウトロ)の部分を取り上げます。

 

3-7 Raining In My Heart

前項3-6のアウトロで登場する“ナイアガラ必殺リズム”のところのコード進行に要注目です。
Bbのキーの「風立ちぬ」で、トニックである「Bb」のオーギュメントコード「Bb aug」が、曲全体の中で終奏のここに1回だけ登場するのです。

 

Bb 」→「 Bb aug」→「 Cm7 」という具合に構成音の一部が上がっていきます。

このように凝ったアウトロからも、大滝さんのヒラメキが感じられますね。

 

Bb 」→「 Bb aug」というコード進行の例としては、以下のバディ・ホリーの曲(キーはG)の前奏や歌い出しが挙げられます。(The Buddy Holly Storyより、オリジナルは1959年)

 

Buddy Holly 「 Raining In My Heart 」

 

3-8 Angel Fingers

1-1項で取り上げた「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」はリフレインしながらフェードアウトで終わります。
一方、「風立ちぬ」はフェードアウトすることなく、秋空へ駆けあがって曲を閉じます。

3-6項の「風立ちぬ」の動画で、終盤の4:25~から勢いよく上昇していく旋律をご確認ください。
 

これはロイ・ウッドが率いるウィザードの曲、「エンジェル・フィンガー」の終わり方と同じです。

Wizzard 「Angel Fingers」(1973年、頭出し済)

 

3:32~で登場する“2拍3連の2小節”も要注目です。
2-8項でふれた「風立ちぬ」のクライマックスの、もう一つの源流がこれです。
ちなみにウィザードの「毎日がクリスマス」のエンディングは、「君は天然色」の後奏に引用されていますね。

 

3-9 白い港

大滝詠一さん歌唱の曲で「風立ちぬ」のルーツソングといえば、2-6項のとおり「カナリア諸島にて」ですが…。

「白い港」と「風立ちぬ」は、ともにキーが「 Bb 」で、ともに弦編曲者が松任谷正隆氏ではなく井上鑑氏でストリングスが厚めでゴージャス。

特に、エンディング部分のコード進行が共通であることに要注目でしょう。


「白い港」の「♪ こだわりも なーいさー」と、「風立ちぬ」の「♪ こころの たーびびとー」とを聴き比べると…。

どちらも「  Cm  /  Ebm  /  Bb  」という、マイナーコードを経た地味で哀愁を帯びた終わり方です。
アイドル歌謡としては、異例な試みともいえます。

 

「『白い港』のリリースの方が後なのでルーツソングではないのでは…」と言われるかもしれません。

いえ、「白い港」の原曲「悲しきWhite Harbour Cafe」は、「風立ちぬ」に先がけて「ロング・バケイション」のセッション期間中、'80年4月に録音されていたのですね。

 

「ロンバケ」への収録を見送られた「悲しきWhite Harbour …」は循環コードを繰り返すシンプルな曲でしたが…。
その転生先や曲のブラッシュアップを大滝さんが考える中で…。
マイナーコードを差し挟んで曲を引き締めたり、2拍3連のキメを挿入することを発案し、「風立ちぬ」へ投入したのかもしれません。

「悲しきWhite Harbour …」自体が、アルバム「風立ちぬ」の1曲として再活用される可能性もあったでしょう。

 

「白い港」の、イントロでは1-3項で挙げた「風立ちぬ」の基幹曲の「ダイアナ」の前奏が引かれています。

また、間奏では“2拍3連のキメ”が聞こえます。


大滝詠一 「白い港」

 

それらの仕掛けも「風立ちぬ」のイメージとつながっているからこそ、だったのかもしれませんね。

 

【参照】「白い港」篇 その2

 

後文

松田聖子の担当プロデューサーが大好きだったという堀辰雄の小説『風立ちぬ』をモチーフに、松本隆氏が軽井沢の万平ホテルのカフェテラスを舞台に据えて詩をしたためたという「風立ちぬ」。

テレビCMでこの曲を初めて聞いた当時の私は、CM専用のオリジナル曲だろうと思いました。
唱歌・童謡に聞こえるというか牧歌的で、それまでの彼女のヒット曲のイメージとはかけ離れていたからです。
それが松田聖子の新曲として発売されると知ったときは驚愕し、「大丈夫だろうか、売れるだろうか」と心配したものです。

プロデューサーだった若松宗雄氏は後年になって、「風立ちぬ」を派手にしたくないという意図に反し、「ゴージャスな大作」に仕上がったとふり返っていました。
対する私は、アイドル歌謡としてはキャッチーさが薄いし、歌番組で歌えばバックのブラス隊の人は暇そうにしているし、ゴージャスどころか地味だという印象を「風立ちぬ」に抱いていたのです。

 

40数年間の時を経て、「風立ちぬ」を日本で聴いた回数が多い人上位3番目くらいに私はなりました(笑)。
書籍『大滝詠一レコーディング・ダイアリー』を見て、24トラックだけのMTRで「風立ちぬ」のあのサウンドが創出されたことをあらためて知り、往時の大滝詠一さんの天才的なひらめきを垣間見た思いでした。

 

今回取り上げた曲たちは、そのひらめきの一端でしかないのかもしれません。
ナイアガラの“心の旅人”になった私は、そのサウンドの風にこれからも身を任せるでしょう、「風立ちぬ」を胸に。

 

長文を最後までご精読いただきまして、ありがとうございました。