デイリー新潮 より
〈大学生が、うんこを□小(しゅくしょう)コピーしている〉――すべての例文に「うんこ」を取り入れた小学生向け『うんこ漢字ドリル』(文響社)が絶大な人気を博している。子どもたちが喜ぶ「うんこ」を巧みに取り入れ、“面白く学ぶ”ことに成功したこの教材には教育界からも称賛の声が上がる。
さはさりながら、やはり糞である。児童が破顔する情景を微笑ましく見守るばかりが術ではあるまい。実際に、教育の専門家からも懸念の声は上がっていて、
「ドリルでは漢字は覚えられるかもしれませんが、表現力までも身につけられるかは疑問です」
とは、森上教育研究所の森上展安代表である。
「いい文章というのは、読んだ後に爽快感が残ります。昨夏の『俳句甲子園』では、東京の女子高生が『利口な睾丸を揺さぶれど桜桃忌』と詠んで話題になりましたが、一見乱暴な言葉でも、このように美しい表現をなすことができる。漱石の文章でも『唐変木』などと汚い言葉が散々
使われていますが、読んでいて爽快です。こうした部分が、子どもに表現を教えていくうえで難しいところです」
今回のうんこドリルは、
「小学校1、2年生くらいまででよいのではと思います。高学年であれば、もっと品のよい文章を読ませたい。排泄行為は、いじめの標的にもなるくらい過激な言葉でもあり、5年生あたりは最もいじめが起こりやすい時期。児童がいじめの材料として使いかねないという危惧はあります」
■“嫌なもの”に向かう行為
元国立市教育長で教育評論家の 石井昌浩氏も、こう警鐘を鳴らすのだ。…
「『三つ子の魂百まで』です。このドリルで育ち、果たして自分の核となるものを持ち得るかどうか。品性のない大人に育ってしまわないか心配です。何でも『うんこ』を媒介にするのは、子どもの未熟な感性に迎合することに他なりません」
さらに、全く正反対の観点から憂慮するのは、評論家の唐沢俊一氏である。
「机に向かうのが楽しくなるという点では、教育界に一石を投じたと思います。ただ、子ども時代の勉強とは概して“嫌なもの”に向かう行為でもあるはず。大人になれば、たとえ嫌でもつまらなくても、仕事ならば取り組まねばならない。勉強には、その“予行演習”という側面があります。今から楽しい勉強を身につけてしまうと、『楽しくないから働かない』という大人が増えないだろうか。そんな一抹の不安を覚えます」
肥やしにも毒にも転じ得る異物とは、心して向き合わねばならない。
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特集「84万部突破! 子供も大人も魅入られた『うんこ漢字ドリル』の社会的考現学」より
「週刊新潮」2017年5月18日菖蒲月増大号 掲載