稲葉山の坂道 | 放荡のブログ

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Tをくぐり出、稲葉山の坂道へと入っていく。
「おやかた様の一番家来なんだから、いい顔しておいたほうがいいんじゃないんですかねえ」
「黙れ、クソジジイ」
「中身は御覧になられたんですかい?」
 ちっ、と、舌打ちし、牛太郎は足を止めた。於松の歯抜けの笑顔を傍らにして、懐の書状を解いていく。
 差し出しの主は武田大膳大夫勝頼の側近、長坂釣閑斉であった。
 佐久間右衛門尉が武田家に寝返ったさいの待遇などについて記されている。
「ずいぶん気が早いことだな」
 フン、と、この謀略家は鼻で笑った。書状を於松に手渡す。
「いつもみたいに燃やしておけ。あと、さゆりんに返書を出すように伝えておけよ。ありがたき幸せとか書かせておけ」
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 書状を受け取った於松はのそのそと引き返していった。
 木漏れ日が落とされている小怪に、鳥の地鳴きがかすかに届いてくる。従五位下出羽守として、文句なく織田の重席に列している牛太郎の歩く道は、前から来る誰もが譲っていく。荷駄持ちや使い番は当然として、岐阜城と城下を行き交う奉行衆も、どこかの家の子弟も、道の端に体を退けて、牛太郎が前を通り過ぎるまで頭を下げ続ける。
 だが、牛太郎はその優越に浸ることなく、次を見据えていた。
 正月、息子を喪って憔悴する藤吉郎とともに、珍しく竹中半兵衛も岐阜にやって来た。半兵衛は一度、実家の菩提山に帰ったが、ほどなく岐阜に戻ってきて、牛太郎に設楽ヶ原にて決戦を引き起こさせる奇策を口上した。
 きつつき戦法。
 武田軍が東三河に侵攻してきたさいの大目的は、玄関口である長篠城奪還であり、ここを取り押さえられたら、先年、東美濃長山城を落とされたように、決戦以前の問題であった。織田軍、ひいては牛太郎の課題は武田軍を設楽ヶ原まで引きずり出してくることである。
 半兵衛の奇策とは、きつつきが木の幹を叩いて虫を這い出させるようにして、長篠城包囲軍を、街道から迂回させた機動部隊に叩かせて、設楽ヶ原に押し出させるというものであった。
 そもそも、このきつつき戦法は、半兵衛の考案ではないと言う。
 かつて、武田徳栄軒と上杉不識庵が川中島で戦ったさい、山に陣を敷いた上杉軍を叩き出すために、徳栄軒が機動部隊を山の裏手に差し向けた。山から叩き出された上杉軍を挟み撃ちにするため、徳栄軒本隊は前進を開始したが、軍神不識庵はこれを悟って、霧に紛れて密かに下山し、突如として徳栄軒本隊の前に出現したのだった。
 思いもしなかった上杉軍の急突撃に、武田本隊はさんざんに打ち負かされて、迂回していた部隊が戻ってきたために窮地を脱して引き分けとあいなったものの、武田家はこの戦いで大多数の有能な将たちを失った。
 つまり、きつつき戦法が失敗したという過去が、武田軍にはある。
 織田徳川軍が同じことを行った場合、武田軍はどうでるべきか、大膳大夫にさまざまな思惑が交錯するであろうが、その思惑を設楽ヶ原の決戦に向かわせることが、
「簗田殿のお仕事です」
 さらには、きつつきを試みる機動部隊は、東三河の山間を把握しており、かつ、武田軍と渡り合える屈強な兵たちでなければならないとも半兵衛は言った。
「織田の兵にこの役目は成し遂げられません。やれるのは三河勢だけです」
 牛太郎は、再度、浜松を訪れなくてはならない。設楽ヶ原の作戦の全容を伝えるためにも、面会の相手は三河守自身だと思った。
 明日にでも岐阜を出よう。と、麓の屋敷町まで降りてきたところ、登城してくる佐々内蔵助成政に出くわした。内蔵助は馬に跨がっていて、下人を三人従えており、もちろん、この男が簗田出羽守に道を譲るはずがなく、牛太郎のほうが道端に押し返された。
 横切っ