今日は初代ネコの三回忌だ。

享年19才。

もうすぐ二十歳だった。

保健所に連れて行かれそうになったのを、私が飼うことにして、そこから共に生活をするようになった。

いつも一緒にいるのが当たり前で、別れの日が来るなんて想像もしてなかった。

あまりにも元気すぎて不死身説も出てたくらいだった。

そんな初代ネコに病気が見つかり、いつもの平坦な日々が変わった。

『 こんな風に過ごせるのはいつまでだろうか』

初代ネコと過ごす時間が愛おしく、その時間がなくなることが恐ろしく感じた。

ひな祭りにクリスマスにお正月、いつ生まれたかわからないから適当な誕生日を祝う。

そんな記念日には動物病院の先生に相談して、ごちそうも作った。

『これが最期のクリスマスかもしれないから』

先生も静かにしっかりと『そうかもしれないですね』とこたえた。

病気が発覚して、初代ネコは二回のクリスマスを迎えた。

そして、2回目のひな祭りを迎え、旅立つちょうど一ヶ月前には私のケーキを盗み食いしていた。



怒りながらも笑ってしまった。

また、悲しくもあった。

この瞬間ももう最期かもしれないと。

そして、その時は突然やってきた。

動物病院の先生も私も気付かなかった。

何か様子がおかしいと病院に連れて行くと、いつもの歯肉炎だとのことで注射を打たれて帰ってきた。

しかし、何も変化がなく、数日後病院へ。

同じく注射を打たれて、初代ネコはぶちギレていた。

日に日にごはんを食べなくなる初代ネコ。

そんな姿を見ながら、仕事に行くのが辛かった。

私のいない時間、初代ネコはよろよろしながらトイレに行き、力を振り絞って私のベッドに上っていた。

それが初代ネコにとって、最期に守りたい尊厳のようなものに感じた。

そして、私も本当に旅立ちの時が近いのだと悟った。

そんな初代ネコを病院に連れて行った。

動物病院の先生は即入院と判断し、初代ネコを抱っこして連れて行った。

初代ネコはぶちギレていた。

私はもう無理だと思っていたが、先生はまだ持ち返すと判断していた。

しかし、私の中では感というよりはもっと強い揺るがない何かが働いていた。

最期だと。

これ以上、苦しめたくない。

私は帰ってから、声を上げて泣いた。

 動物病院の先生から、夕方の6時には毎日電話がかかってきた。

まだ元気に過ごせる時間を作ることが出来ると先生は言う。

しかし、それは次の日に崩れた。

『僕の判断が間違ってました。初代ちゃんは腎不全の末期です』

そこからは話しが早かった。

私の方針は決まっていた。

痛みは可能な限り取り除く。

耐えがたい痛みが出てきた場合、先生の判断で楽にしてあげて下さいとお願いした。

自宅療養は難しいので、先生が初代ネコのいる ゲージを『お家風にしましょう』と提案してくれた。

初代ネコのゲージに私のシーツや枕カバーを持ち込んだ。

 入院中には実習生がきていたらしく、初代ネコを助けてあげられないのかと先生に言ってたらしい。

私は仕事をしている間は気も紛らわすことがら出来た。

夜には心配した友達からも連絡がきた。

そんな日を数日過ごし、その時は来た。

前日に面会に行って、今日が最期だと思った。

次の日の21時半頃、動物病院から電話が来た。

『初代ちゃんが亡くなりました』

思ったより冷静な自分がいた。

頭ですべて受け入れていた。

小雨が降っている中、初代ネコを迎えに行った。

『これは初代ちゃんじゃありません。初代ちゃんの魂が入っていた器です』

先生は初代ネコを診察台に乗せて言った。

冷たい言葉に聞こえる人もいるだろうが、きっと先生なりの死の向き合い方なのだろう。

眠っているような初代ネコを助手席に乗せ、『帰るよ』と声をかけた。

いつもの文句は返ってこない。

 帰宅後、友達に連絡した。

『初代ネコは女優みたいだから奇麗な姿で逝かせないとキレるかもよ』という言葉で、火葬は翌日の夕方にした。

冷静さと喪失感が波のように押し寄せ、どうしてかいいかわからなかった。

でも、もう初代ネコはいない。

翌日、会社にも連絡した。

会社の人も泣きそうになっていた。

火葬場までは友達が付き添ってくれた。

オルゴールのジブリの曲が流れていた。

よくポニョの曲の替え歌を初代ネコに歌ってからかっていた。

声を上げて泣きそうになるのを必死に堪えた。

そして、初代ネコは空に上がっていった。

帰りに友達にお礼を言われた。

初代ネコの火葬に立ち会って、 浄化されたと。

自分の飼い犬の最期に満足いかないことがあったらしい。

小さくなった初代ネコを抱え、帰宅した。

静かだった。

腕の中にいる小さくなった初代ネコには、もうぬくもりは感じない。

ただ、初代ネコが使っていたものが生前と同じように存在する部屋に私がいる。

もう、変えることのないペットシーツに減ることのないキャットフード。

だが、この悲しみは誰のものでもなく、自分のものだ。

他人が勝手にピリオドを打つものではない。

また奪ってもいけない。

初代ネコがいない世界の色は違って見えた。

私の中の何かを持って行かれたようだ。

初代ネコを失った悲しみは今も癒えていない。