私の中の母親の怒りに気付いて楽になったら、

次は叔母の怒りを取り込んでいた私に気付いた。

小学生の時、父の兄嫁と祖母の嫁姑戦争があり、それに私が巻き込まれた。
 
祖母が家出をして私の家にやってきた。
そんなことも知らず、当時の私は祖母が好きだったので素直に喜んでいた。
父と兄嫁も仲が悪く、祖母の件を電話でやり取りしていたが、話にならず短気な父は電話を切った。
当然怒った父の兄嫁は電話してくる。確実に兄嫁と判っている電話に、たまたまそこに居た私に出ろと言う父。
いやいや出ると、やっぱり兄嫁。変われというのを伝えると、居ないと言えと父。
子供ながらそんなんありえんわ!バレバレ!!と思いつつも素直な私は居ないと言った。笑
すると当たり前ながら子供に嘘を言われてブチ切れる兄嫁が呪いの言葉を吐いた。
 
「さと。ちゃん、そんな嘘つく子はな、骸骨にさらわれてしまうんよ。」
そこからネチネチ始まった鬱憤晴らし。私は話してる途中で電話を切った。
理不尽な怒りと悲しみと恐怖と入り混じった何とも言えない感情が湧いてきて、私はそのまま布団に潜って泣きながら眠りについた。たったそれだけの出来事だった。
 
でも、エンパス体質の私には十分だったみたい。
怒る度に思い出す父の兄嫁のねっとりしたヒステリックな怒り方。
私はその怒り方が大嫌いで、そんな怒り方しかできない自分が嫌いになっていった。
 
穴を塞いでいた「母」という大きな石をどけたら、穴から出てくるねっとりしたヒステリックな父の兄嫁の怒り。
これを捨てたら、今度はおどりゃーすどりゃーの父の怒り。
これらに気付くたびに心がフワッと軽くなる。
不要なものの手放しは、自分のものではない、自分には必要ないと気付くだけでOK。
そしたら怒り方が変わったよ、という実体験。
 
エンパスでなくても、子供は海綿体のようにあらゆるものを吸収して成長していく。
多感な時期に誰に、どんな出来事や感情に触れるかで、社会での生き易さが変わってくるのだろう。
これを身をもって知った今、私に出来ることも変わってくるのかな。
 
あ、それでも変わらずプンスコ怒ってます。笑