ごきげんよう。あなたのご訪問に感謝です。年が明けました。わたしたちツインレイズは大晦日から元旦にかけて、静岡県は駿河のあたりに出かけておりました。目当ては富士山に射す御来光を見ること。これは、そのときのことを記事にしたものになります。
御来光。初日の出。それを目にすると大変おめでたい、とか、スピリチュアル的にどうだ、とか、そんな「意味」は別にして、私たちはその「体験」をしたいと思い、駿河湾のポイントに出港する船に乗ろうと、午前6時の清水港にいました。
私たちは御来光を見るツアーに参加していました。自分たちごとながら直前の行動だなぁと思うのですが、1月1日の出港にもかかわらず、御来光を見に行きたいなと思い立ったのが12月29日のことでした。
御来光を見るツアーは、これまで申し込んだことがないのでわからないのですが、たぶん1ヶ月以上前から募集していたんだと思うんです。なのに、私たちが思い立ってツアーを探した12月29日のそのときに、「たまたま」、駿河湾から御来光と富士山とを眺めるツアーに、参加枠に欠員が出ていたんです。
その「たまたま」に「導き」を直感し、私たちはそのツアーに申し込んだのです。
前日に静岡入りしたのですが、このときにも「導き」がありました。
大晦日のことですから、新幹線がどれも混雑していて、2人で並んで座りたい私たちは駅の券売機の前で戸惑っていました。ひとまず自由席で買い、来た新幹線に乗ろうとしたのです。
このとき、おもしろいことがありました。
新幹線に乗る人の列に沿って進んでいくその横で、小走りで通り過ぎる男の子の後ろから声を掛ける、おそらく父親なんでしょうが、「そっち乗らないよ」と言ったんです。
私たちはその言葉を無視できませんでした。並んでいた列を進んで、いったんは新幹線に乗ったものの、座れそうな気配がなかったのもあって、「あ、これ、乗らないってことなんだな」と納得し、乗るのをやめることにしたのです。
窓口に行って相談すると、1時間後の便なら並んで座れることがわかりました。これに乗るようにサポートが入っていたのか!
じつは駅に向かうときに、片割れ(=ツインレイの彼女)が帽子を忘れていることに気づいたんです。私たちは片割れの被りたい新しい帽子を探すための時間として、この1時間の待ち時間を過ごすことが、自然な流れのうちにやってきたのです。そしてじっさいに素敵な帽子は見つかったのです。
時間を進めまして、大晦日の夜。ホテルにチェックインした私たちは、翌朝のタクシーの手配をフロントに聞いてみたのです。すると、どこのタクシー会社も正月には予約を受け付けていないとのこと。ツアーの集合場所はホテルからそう離れているわけではないものの、早朝の寒いなかをタクシーで移動できるかどうかはネックでした。
そして翌朝5時30分に目を覚まして身支度をし、「あ、そういえばタクシーのこと聞かないと」と思い出したのが5時50分頃(あいかわらず遅い)。フロントに電話して、10分後の6時に出発できるタクシーをお願いしました。……書いていて無茶振りだなぁと思います。
フロントの方も、元旦の、日の出前の早朝にタクシーを10分後に手配してほしいと頼まれたので、電話越しの対応もかなり自信なさげな様子でした。受話器を置いたわたし自身も「マズッたかな……😓」状態。
しかし、数分後。
「6時にタクシー、用意できました」
そう、伝えられました。
内心、わたしはガッツポーズ。
片割れに言うと、「奇跡だね!」
──そんな経過があったうえで乗船することになった船がこちら👐
イギリス生まれの客船だそう。
夜明け前の清水港は静かで、風もなくて、何より世界の色が美しい。
このときわたしの脳裏には「トワイライト」のフレーズが踊っていたものの、こうして書いてみるに及ぶと、トワイライトは英語のイメージ的にはしっくりこないのかもしれないな、なんて思ったりして。正確には、たぶん、「デイブレイク」なんだろうな、たぶん。
いよいよ出港。今までこれほどまでに御来光を心待ちにしたことがあったかな、なんて思う自分の目に、富士山は現れます。
夜明け前のうっすりと浮かび上がる富士山。
美しい……😭
日の出を望むスポットまでは船内で朝食。
食事はおせちでございました。
奥のお椀はカニのお味噌汁☺️
窓を見ますと夜明けの気配が近づいています。
富士山側も、こんなふうに。
日の出スポットに着いたので、甲板に出ます。
明るくなってきました。
写真だとわかりにくいですが、静岡県の西側から望む富士山は右肩のあたりが小さく出っぱってるんですよね。よく知られた形だと「八」の字に見えますが、私たちが見た清水のあたりからだと、そういう形に見えるのでした。
そして、
いよいよ、その時です。
──御来光🌅──
雲もなく、寒すぎることもなく。
伊豆半島の、たぶん天城山のあたりかな、そのあたりから昇ってくる太陽。
そんな光景を、片割れと共に、じっと見つめていました。
絶好の御来光日和でした。
わたしは漂泊の歌人・西行が詠んだ歌を思い出していました。
なにごとの おはしますかは 知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる
西行が伊勢神宮に参拝したときに詠んだ歌で、何がそこにあるのかわからないけれども、おのずとありがたいなぁと拝んでしまう、そんな気持ちを歌ったもの。
御来光を目にしていたわたしには、とくに「かたじけなさに 涙こぼるる」の部分が降りてきたのです。
手を合わせる、合掌の所作はこういうときのためにあるんじゃないかと感じるのでした。
ああ、美しい。
ああ、素晴らしい。
光の道が、こちらへ、私たちの方へと進んで来ていました。
わたしはこの世界を輝かせる、私たち自身の神聖さを感じるのでした。
帰港する頃には空は抜けるように快晴。
今日も良い日になりそうだ、と、思いつつ、私たちは晴れ晴れとした新年をスタートしたのでした。