ごきげんよう。ご覧いただき有難うございます。あなたは悩みはありますか? わたしはあります。悩みたくなんてないですが、そこから学ぶこともあったりと、複雑です。今回はそんな「悩み」について。
 

 

本編に入る前に、ツインレイの彼女(=片割れ)のやっているブログをご紹介させてください↓↓↓

 

 

 

 
悩みにもいろいろある、と言えど、だいたいの悩みは人間関係に尽きる、などと聞いたことがありますが。どうなんですかね?
 
 
そもそも論で、悩むことそのものが良くないと言う人もいます。悩むというのは堂々巡りをするばかりで悩んでいる現状を打開することはない。だから良くない。悩んでいるくらいなら、考えろ。そして改善策を思い付け。──みたいな論法で。
 
 
仏教では「悟りを開く」ことが大切だと言われます。その悟りにしても、悩んでいる状態があるからこそ、ハッと悟る一瞬が訪れる。さながら、雲に覆われていた空に、雲が切れる一瞬、月が見える、そんな風にして。
 
 
スピリチュアルの世界でも、「お試し」と呼ばれるものがあります。それはいわば「悩みの種」のようなもので、それが現れたときは、高次の自分(=ハイヤーセルフ)から「その悩みを悩みとして受け止めてしまう感情を手放しなさい」とメッセージを送られているわけです。
 
 
まあ、普通に生きていたらこの世には悩みの種は尽きないと思います。そこを諦めて受け入れるというのは、おそらく「眠った生きかた」となるのでしょう。スピリチュアルの世界を知ると、人はそのような眠った生きかたを選ぶのか、それとも目醒めを選ぶのかを、問われます。
 
 
目覚めを決めたとしても、最初はうつらうつらとした状態なのだと思います。だからこそ、悩みの種に出会ってしまったり、その悩みを手放すお試しを課されたりするのでしょうね。
 
 
悩むことのない悟った生きかたをしたいわ……などと思っていましたが、先ほど言ったように、悟りは「悟り続ける状態」ではないので、「悟った生きかた」というのは状態としてはありえません。悩みありきの悟りですから。
 
 
それを思うにつけ、スピリチュアルの世界が誘う「目醒めの意識」は、悩みの世界を生きるものにとっては、希望です。目醒めた後の世界というのはたぶん、雷に打たれるような悟り体験こそないのでしょうが、おだやかな午後の渚を思わせる光の世界が広がるんだろうなぁ。
 
 

 

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