ごきげんようございます。ご覧いただきありがとうございます。夕暮れの虫の声が静かになってきましたね。今回は、YouTubeで聞こえてきた日本人の特殊な能力(の欠如)について、書いてみようと思います。
 

 

本編に入る前に、ツインレイの彼女(=片割れ)のやっているブログをご紹介させてください↓↓↓

 

 

 

 

YouTubeを流していたら、気になる情報を耳にしました。チャンネルの名前は『ヘンリーのゆっくり科学【診断テスト】』、動画のタイトルは『【ゆっくり解説】日本人だけが持っていない特殊能力6選【人類雑学】」。

 

 

タイトルにある通り、世界的に見て多くの人が持っているのに日本人には欠けているという(それゆえに特殊な)能力を、6つ紹介している動画です。

 

 

そのなかで興味深かったのが、6番目に取りあげられている「左脳の処理能力」です。

 

 

簡単に説明しますと、日本人の左脳に欠けているとされるのは「自然界の音を雑音として処理する」機能です。多くの国のほとんどの人にとって、自然界の音──虫や鳥の鳴き声や雨風の音は〈雑音〉として処理されてしまうのだそうな。ところが日本人はそれら自然界から聞こえてくる音を左脳ではなく右脳で処理する。右脳は言葉を処理する器官とされています。つまり、日本人は自然界の音を「言葉」として、いわば「声」として処理してしまうのです。

 

 

だからこそ、日本人は自然に対する「対話相手」として自分を置くことのできる感受性を持つことができ、「一寸の虫にも五分の魂」のようなことわざも出てきたりするのですね。宮崎駿さんが描いた、ヒロインが虫や森と交流する『風の谷のナウシカ』なんて物語も、自然の音を声として感じる日本人ならではの作品なのかもしれません。

 

 

わたしが「自然界の音を言葉として処理する」日本人の特異性のことを知ったのは、この動画が初めてではありませんでした。忘れていたのですが、この動画によって思い出したのです。思い出しつつ、今の自分に共振したのはツインレイの彼女(=片割れ)としたやりとりでした。

 

 

片割れはつねづね、自然界にあるものはみんな声を持っていると言います。虫には虫の声があり、風には風の声がある。人がそれらの声を聞き取れないのは、波長や次元が異なっているからで、本当はいつも話しかけているのだ。──と。

 

 

それを聞いてわたしが想像するのは、家具や動物に対してわたしたちが返事を期待することなく話しかけてしまう、あの感覚です。あなたもそんなことをした覚えはありませんか?

 

 

あるいは、まだ他者とのコミュニケーションがうまくできないと思っている赤ん坊に、それでもなお言葉を掛けずにいられない周囲の人々のことを想像してみましょう。「こんにちは、〇〇ちゃん」とその子に声を掛けている。それは一方的なようですが、じつはその赤ん坊が返事を返してくる期待もあります。そしてその一声を聞けたとき、彼らは歓喜する。

 

 

赤ん坊からの応答のような〈返事〉を、虫や風などの自然に期待するのはスピリチュアルな感性かもしれませんが、それらを言語を司る右脳で処理する日本人ならば、あながち空想ではないのかもしれません。

 

 

少なくとも、片割れの感じる宇宙において、虫や風は彼らなりの言葉を持っているという直観は科学的にも事実認定できてしまいそうな気配があります。

 

 

おもしろい!

 

 

ちなみに、わたし自身もまた虫や風などの自然物からの「声」を信じていますし、それらを聞いているだろうなと思っています。

 

 

……ただし、それを翻訳する能力を持っているかは、覚束ない(^^;;

 

 

しかし、スピリチュアル的には、彼らの声はわたしが創造している現実に響いているのでしょうから、わたしの創造する現実次第によってはそれらの声がこの現実に表現されることもあるのかもしれません。

 

 

 

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