ごきげんようございます。ご覧いただきありがとうございます。今回はツインレイ関係にある者同士で意見が合わないことについて、書いてみようかと。

 

 

本編に入る前に、ツインレイの彼女(=片割れ)のやっているブログをご紹介させてください↓↓↓

 

 

 

 
この頃、『スピリチュアルの目覚めは「オーデション」か「カーニバル」か』という記事を書きまして。その中でツインレイ同士でも意見が合わないことがあると言いました。

 

 

ツインレイは統合すれば以心伝心もなんのその、離れていても隣り合わせでいるような心地になる……そんなイメージも、もしかしたらありそうな、なさそうな。

 

 

と言いましたのも、わたしたちツインレイカップルにあってもその気配があったからなのです。たとえば、ちょっとした意見の不一致が波動の違いのように思ってしまったり、とかね。

 

 

スピリチュアル的にはお互いの波動が合っていることは、お互いが同じパラレルにいることでもある。ツインレイであるならば、他のどんな人間関係よりも近い波動でいるはずで、同じパラレルにいることが普通だろう、と思ったりして。

 

(「パラレル」というのは現実のこと。ただし、同じ状況にいても人によっては体験することが異なっているような、そんな現実のことです。というのも、スピリチュアルの世界ではその人の波動の状態によって引き寄せるものが異なると申しますが、現実そのものがその人の波動の状態によって別様になっていくというわけで、これを「波動現実」などと呼んだりします。この波動現実こそ「パラレル」の正体である。──と、わたしは理解しています。)

 

しかしながら、

 

 

ツインレイはひとつの魂を分け合い、別々の個体として地上に降りてきている(とされています)ので、お互いがまったく同じ波長でいるのはいいにしても、お互いの意見や価値観に一致しないところがあったとしてもおかしくないように思います。

 

 

相手の見解に合意できないことがある。これはツインレイ同士であっても、ぜんぜんアリなのだと思うのです。お互いが別個体として別体験をし、別現実を生きてきた。そのプロセスの結果としてお互いに出会い、ツインレイとして合流する。

 
 
──それを思うと、ツインレイ同士の〈合意できなさ〉は尊重されてもいいのかもしれません。
 
 
元は一つの存在やのに、別々の二人になって別々の夢が見られるって、素敵やん?
 
 
肝心なのは、ツインレイでも、各自それぞれが「自分らしく生きる」「自分軸で生きる」、つまりは自分と向き合い慈愛することにあるのだと思います。
 
 
ツインレイの関係の場合では、自分と向き合う際に〈相手〉がいてしまうことが、もしかしたら、ちょっとしたネックになってしまうのかもしれないな、と思ったりしてね。
 
 
 

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