ごきげんよう。ご覧いただきありがとうございます。今回は自分らしく生きることを難しくさせがちなる「感情」や「エゴ」について書こうと思います。

 

 

本編に入る前に、ツインレイの彼女(=片割れ)のやっているブログをご紹介させてください↓↓↓

 

 

 

 
情緒は、人が生きるうえでは重要なものです。それなくしては「幸せを感じる」ことさえできません。「感じること」に関わるものが、人の幸福を左右すると言っても過言ではないでしょう。
 
 
人がする活動の全てを、幸せになろうとする営みとして理解することもできます。そうしたことの一環に、たとえば「スピリチュアル」と呼ばれる界隈もあります。
 
 
そして、魂(へ)の目覚めの道と謳われるスピリチュアルにおいても「感じること」は本質部に置かれています。感性、直感、霊感……いずれも「(かんじ) 」あってのこと。しかし、そうした「感じること」を素直にさせない力というものもあります。それが「感情」です。
 
 
なにも、感情がすべて良くないものだと言うのではありません。ただ、感情との付き合い方によっては、感情はどろっとした思いを育てる土壌となって、人の自由を妨げる力として働くこともまた事実です。そのような「その感情がなかったらもっと自由に振る舞えたであろうような感情」を、この記事でいう「感情」という言葉に込めようと思います。
 
 
ところで、
 
 
わたしは感情的になった人を前にすると「壊れたテープレコーダー」を思い出します。かつて録音された音声なり音楽なりを、本人が抑えようもなく再生されてしまう、そんなときに起こる自動再生状態──そう見えて、壊れたテープレコーダーという印象を覚えるのだと、自分では思っています。
 
 
壊れたテープレコーダーとなった人は、自分のアイデンティティを自分で確認しようと、自分が鎧った社会的な肩書きやそれに基づくマニュアルを語ります。あるいは自分が常識だと思っていることをワーっと話しはじめるのです。そういう場合、その人の表情は強張っていて、融通が利かないのが特徴です。話が噛み合わなかったり、そもそもこちらの話を聞いていなかったり。いわゆる「困った人」になるのですね。
 
 
スピリチュアルの世界では(どのような世界でもそうなのかもしれませんが)そのような状態は、「感情に支配された状態」もしくは「愛のないエゴの状態」と表現されるように思います。
 
 
かく言うわたしも、以前も今も、そうした状態を完全に卒業したと断言することはできない身でいます。ときに感情的になり、ときに愛のないエゴの態度をとり、そして壊れたテープレコーダーのような状態になります。
 
 
感情的になってしまうのは、言うなれば「自分の弱さ」に原因がある。そう思います。
 
 
むかし、わたしが悩みのなかにいて心の病院に通っていたときに得た気づきなのですが、わたしが他人と社会とうまくやれないでいたのは「我が強い」からだと思っていたのですが、あるときに自分が消耗してしまうのは、むしろ「我が弱い」からなのだと気付いたのです。
 
 
動物の世界では、自分が脅かされるからこそ他の動物を攻撃するのだそうです。脅かされると感じるのは、強さではなく弱さ。弱いからこそ、危機感を覚えた相手に向かっていく。──人もまた、弱さゆえに怯え、怯えるからこそ不安になり、心を病んでしまったりする。そのように思います。
 
 
スピリチュアルでは「手放し」という技法があります。手放しは「自分が所有している物を捨てる」だけでなく、「自分が感じている感情を許す」ことも含んだ手放しです。それにより、感情を手放していき、強張ったエゴをほぐしていくのですね。
 
 
心を病んだわたしのケースで言えば、弱い自分を守るために他人や社会に反発し、いつも自分が脅かされるのではないかと不安に感じていました。それは一見して「他の人と比べて我が強くしっかりとした自分を持っているから」であるように思えるのですが、その実、誰かに傷つけられたくないからとバリアを張っていたに過ぎなかったのです。そこにいるのは子犬のように震えて怯える弱い自分でした。
 
 
弱い自分に気づいたわたしは、自分を許す道を模索しました。それは(いま敢えて)言うなれば「手放し」をすることでした。
 
 
「自分にはこういうネガティブな感情がある」ということに気づき、気づいたネガティブな感情を許す。それはいわば一人二役で、親となり子となるワークでした。感情的になる自分は子どもで、それに気づいて「大丈夫だよ」と抱きしめてあげるのが親の自分。
 
 
これは一種の統合ワークです。自分の影の部分を拒絶せず、
「あなたもわたし」であることを認めてあげること。その許しを通じて、分裂していた自分を統合する。統合が進むに連れて、自我を守るセキュリティシステムのように作動していた「壊れたテープレコーダー化」は鳴りをひそめていくのです。
 
 
以上のように書くと、あたかもわたしはすでに感情を手放して魂の底から悟りきった愛に満ちた人物のような気がしてくるのですが、残念ながらそんなことはありません(笑)
 
 
わたしも良かれ悪しかれ感情的になることはありますし、もしかしたら愛のないエゴに憑かれたような振る舞いをするときもあるかもしれない。「かもしれない」と言えども、わたしは自分が信じたい、愛のある自分でいたいと思っています。
 
 
感情やエゴの話はまたするかもしれませんが、今回は、これくらいで。
 
 
 

今日のメッセージ

 

ここではわたしと片割れとが共作した

オリジナルのラブ短歌カードを1枚引き、

それをメッセージとしてリーディングします。

 

書かれている短歌はすべて

わたしから片割れに向けて書いた

ラブレターになっています。

 

なので、すべての短歌が

パートナーを愛する想いの詰まった

愛の波動の高いメッセージになっていると思います。

 

 

image

 

    

君はもうぼくの中身になっている

そこになければひかれぬ道理

 

【リーディング】

すべての愛は自分への愛

だとすれば、

あなたに心惹かれているわけは、

あなたが他人ではなく〈わたし〉だから。

だからこそ、

どうしようもなく惹かれてしまう

わたしでいるのだと思うのです。

 

 

 

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