ごきげんよう。ご覧いただきありがとうございます。今日は、……そうだな、覚醒後の自分に起きたささやかな変化をひとつ、ご紹介しようと思います。

 

 

本編に入る前に、ツインレイの彼女(=片割れ)のやっているブログをご紹介させてください↓↓↓

 

 

 

 

みなさん、夢は見ますか? 眠っているときに見る、あれです。将来の夢とかいう仮想的なものではなくて、どんな突飛な内容であっても(現実よりも)現実味のある世界体験ができる、そんな睡夢のことですね。

 

 

みなさんが(おそらくは)そうであるように、わたしも夢を見るのです。スピリチュアル的な覚醒の後で、この夢見の体験にちょっとした変化が起こったのです。

 

 

「スピリチュアル的な覚醒」と言いましたが、そうは言ったものの、わたし自身は「自分が覚醒後を生きている」と断言していいものか、確信が持てずにいます。「悟りを開いた状態」なのかと問われてうなずけるほどの次元にあるとは思いませんが、スピリチュアルの目覚めへの道に踏み出した「覚醒することを選んだ魂」であることは自信をもってYESと言える。──こうした思いから、わたしが「スピリチュアル的な覚醒」と言うときは、まだ目覚める余地のある半覚醒の魂の状態をイメージしておいてください。

 

 

さて、改めて、

 

 

わたしが覚醒後に覚えた変化は、まだ眠気の残るうつらうつらした「半睡の状態」あるいは「半覚醒の状態」に起こりました。それは、目を瞑っているときの半ば夢の世界に意識をさまよわせつつ、もう一方では現実の世界を体で感じるくらいには意識が目覚めている、そんな状態で、メッセージがイメージとして意識に現れるというもの。

 

 

わたしの場合、メッセージは文章で現れることがほとんどです。

 

 

たとえば、今朝はハート型のカードのデッキのイメージが降りてきて、一番上のカードをめくったところ、

 

神様、

ちゃんとしてください。

帰りなさい。

 

というメッセージが書いてありました。便宜上「降りてきた」と言いましたものの、あれは「スクリーンに上映される」と言ったほうが適当かもしれません。そしてメッセージは大概が、抽象的で多義的、それゆえに象徴的で神秘的でもある、そんな表現にも見えます。

 

 

こうしたヴィジョンはなかなか記憶に定着しないので、たいていは忘れてしまいます。覚えていても何か意味のあるメッセージのようには思えない内容のことが多いです。今朝のメッセージにしてもそのメッセージを知ったからといって具体的にどうこうできるような内容ではありません。

 

 

覚醒前にも似たようなことはありました。しかし、その際には現と夢の境界の、夢の側に寄ったイメージだったように思います。半覚醒でも半睡でもなく、熟睡に近い状態だったのです。(ちなみに、その際……といっても2012年くらいの頃に見たメッセージにあった「未分末」は、なぜか忘れずに今に至るまで覚えています。)

 

 

覚醒後はというと、熟睡の状態ではなく、あくまでも意識は覚めているのが前提で、誰かに声を掛けられれば反応ができるような半睡の状態にあります。

 

 

以上の報告は、なんというか、いまだに自分でもよくわかっていません。この件に関して、何かしらの学びを話せる状態にもありません。ただ、わたしが目覚めを決めてからのこの1年間のあいだでのささやかな変化を、ここに書き留めておこうと思っての執筆です。

 

 

う〜む、今朝のメッセージにあった「神様」ってわたしのことだったのかなぁ? それじゃあそう呼びかけているのはいったい誰なのだろう? ……謎だ。

 

 

 

今日のメッセージ

 

ここではわたしと片割れとが共作した

オリジナルのラブ短歌カードを1枚引き、

それをメッセージとしてリーディングします。

 

書かれている短歌はすべて

わたしから片割れに向けて書いた

ラブレターになっています。

 

なので、すべての短歌が

パートナーを愛する想いの詰まった

愛の波動の高いメッセージになっていると思います。

 

 

 

    

やわらかにやわらかになる

かたまりは

わたしのこころ きみとのすべて

 

【リーディング】

我慢も頑張るも「固い心」の姿。

別名を「エゴ=自我」という。

心の固さをほぐすのは「愛」。

それは大切な人との交わりの産物。

すべての喜怒哀楽をひっくるめて

「すべてが愛だ」と言える、

そんな勇気は、誰もが持っているのです。

 

 

 

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