家を出た日のこと
なかなか実家の居心地が良い夫が、息子に戻るというダークサイド落ちになった日から、私の中でちょっとずつ夫に対する不信感、頼りなさを感じていた私は、仕事関係でお付きあのある業者に依頼してアパートを契約した。
夫の家族が全員留守になる日が決まっていたのでその日を狙って、友人のトラックを借りて引っ越しを決行。
家事でほとんどの家財道具がなくなり、夫の実家に間借りしていたため荷物はもっぱら必要最小限である。
子供と猫を連れてさっさとおさらばである。お向かいのロッテンマイヤーおばさんが庭掃除しながらこっちを見ていようともう関係ないのだ。だって、これで気兼ねなく生きることが出来るのだから。
保育園も職場も遠くなるが、築30年、鉄筋コンクリート造、3DKで家賃は¥63,500、駐車場代はこの地域では平均である ¥3,000。合計¥66,500ならアルバイトの給料でも結婚前の貯蓄があるのでなんとかなるだろう。
公園でベビーカーを押しながら鳩の数を数えていた頃に知り合って今でも付き合いがあるママ友にも手伝ってもらい引っ越しはあっという間に完了。
それ以来ママ友のたまり場および、DV被害からの避難場所としてしょっちゅう友人が来ることになる。
一応、夫にはついてくるなら鍵渡しておくからくれば?とだけ言ってカギを渡しておいたので、休みの日に荷物を持ってやってきた。
何とか3人の生活をやろうと気持ちを切り替えてみたもののそこから半年後に離婚することになった。
その頃息子は3歳8か月。パパッ子だっただけに心が張り裂けるようで息子には申し訳ないことをしたと今でもずっと思っている。離婚とは子供の性格に大きく影響することを後から身に染みてわかった頃、自分を責めて毎日泣き明かしていたこともあった。
でもその時は無理だった。夫とその家族の何もかも。本当にどうしようもなく無理だった。
離婚後の保育園の運動会におじいちゃんおばあちゃんも来ている家がほとんどで、私と離婚した夫の2人しか参加していない運動会は息子にとってさぞ寂しい気持ちだっただろう。2歳の時はたくさん家族が来ていただけに周りからの視線も痛かった。
上司に離婚したことを話しお迎えの時間について相談したところ、必ず定時で上がれるように配慮してくれた。
これからはワンオペになるので仕事でも家庭でもしっかりしなければならない。
常に気を遣う他人の家での生活より自分の家があるだけで気持ちもモチベーションも変わる。
子供の時に両親が離婚していたので自分はしないと思っていたのに同じことを自分の息子にも味合わせてしまったことが悔やまれるが、一人の人間として人生を考えることも必要なことだったので背中を見せて育てるしかないと思い日々を過ごしていった。
ただ、生活はぎりぎりで保育料もばかにならない。アルバイトだけの給料では貯金が減る一方だったが、やっと子会社でも再来年の春から社員登用制度が開始されると通達が出たのでほっとした。