ヒロシの帽子 | ひより軒・恋愛茶漬け

ヒロシの帽子

「ヒロシの帽子」

あれだ。まちがいない。

高校2年の冬に、私がせっせと編み上げたニットの帽子。
同級生のヒロシのために。

くすんだダークブルーにグレーと赤のライン。
ちょうど耳が隠れるように
あまり子供っぽくならないように
編んだりほどいたり
編んだり編んだり

忘れるはずがない。

明治記念公園の広いフリーマーケット会場で
ライトブルーのビニールシートの上、
ゲーセン仕様のミッキーマウスと
たたんだバナナリパブリックのシャツとの間に
はさまれて窮屈そうに並んでいる。


ヒロシは、はじめて付きあった彼だった。
初めての気持ち
初めてのキス

「初めての…オトコ」

と、つぶやいてキャー、イヤーと
モー、私ったら、モーと
まだキスの後で、顔もあげられないくせに
甘美なニクタイの愛の世界に
貧弱な胸をふくらませていたジョシコーセイ。

ヒロシには言わなかったけど。

たぶん「初めて」にとりつかれていたんだと思う。
学校さぼってディズニーデートとか
公園ピクニック・ウィズ・手作り弁当とか
手編みのちょっとしたプレゼントとか

彼ができたらやってみたいことが
ずっと憧れていたことができることが
嬉しくて、ただモー嬉しくて

―なんでもない日にサプライズ・プレゼントを。
ティーン雑誌の記事に
おお、これだ、これと思った私は
占いのラッキーデーとカレンダーを見比べて
なんでもない日を勝手に決めた。

ヒロシ、待ってて。

せっせと編んだニットの帽子は満足のいく出来栄え。
いつか彼と結婚して家で編物教室を開いて…って
夢はドンドン飛躍していくジョシコーセイ。

なんでもない日は土曜日。一緒に映画にいく約束だった。
2人とも大好きなホラー映画。楽しい。
気取らないパスタのお店でおしゃべり。楽しい。
手をつないで夜景のきれいな公園へ。楽しい。楽しい。

公園の高台のテラスから
遠くのビル群が輝いているのが見える。
私は何とか、どうでもいいんだけどって感じを作って
茶色のどこにでもある紙袋に
無造作に入れた帽子をヒロシに渡す。

さりげなく、さりげなく
ヒロシの反応なんて気にならないふりがしたいんだけど

やっぱり横目で見てしまう。
横目で笑顔を確認して、すばやくビルの灯りに目を向ける。

「ナオ。ありがとう。」
私の名前をそんなに優しく呼べるのはヒロシだけ。
背中から体を抱きしめられると、
あたまの上からヒロシの声がふってくる。

「なんか、オレなきそうかも。」

なくな。なくなんていうな。
なくなんてきいてなきそうになる、私。
夜景の輪郭が、ジンワリとにじんで…。


まちがえるはずがない。

あのヒロシの帽子が、12年のサイゲツを越えて
今、目の前でブルーのシートに並んでいる。
不思議な気持ちに包まれながら
私はその帽子から目がはなせない。

奥のほうに置かれたディレクターズチェアから立ち上がって
ブルーシート店の店主が
「その帽子いいでしょう?」と気軽に声をかけてくる。

聞き覚えのある優しい声。
店主の顔を確かめるために
私は顔を上げることができない。

「いくらなの?まけてくれる?」と
笑いながら聞く勇気を持てないまま
私はずっと、
ヒロシの帽子の前で立ちつくしていた。