私は大牟田市に帰りました。テレビでジプシー・ローズのドキュメンタリーを見てから、彼女が大牟田出身だと知り、興味を持ちました。

ローズは日本のマリリン・モンローと呼ばれていました。

大牟田の図書館でローズに関する本を読みましたが、その本は貸し出し禁止で、閲覧のみ可能でした。ローズは大牟田市西宮浦町三十八番地で生まれ、本名は「志水敏子(しみずとしこ)」と言います。

1949年、敏子(以下ローズ)は、大牟田に公演に来た長谷川一夫主宰の「ロマンス座」と共に上京しました。ローズは不知火女子高校(旧中学)を中退しています。学校は当時、上官の結婚式場(モーリアクラシック大牟田迎賓館)の場所にあったようです。

ローズは長身で、白系ロシア人ではないかと思われるほど白人の顔立ちをしていました。彼女の芸名「ジプシー・ローズ」も、アメリカ人ダンサーのジプシー・ローズ・リーから取られたと考えられます。

成人時のローズは、身長162cm、体重58kgでした。彼女は長身で、白人のような顔立ちと豊満な体型を持っていました。