ファーストキス: 渡れなかった赤い糸橋 ペーパーバック – 2024/5/1

 

「ファーストキス」概要

 高校二年に進級したとき、クラス替えで大谷直哉と副島由美子は同じクラスになる。
十七歳と言えば異性を気にする年ごろである。直哉の下足箱に由美子が作ったクッキーやメモのような手紙が入れられるようになり、二人は恋心を抱くようになった。
 夏休みに入り直哉が彼女の家へ遊びに行ったとき、二人は初めてのぎこちない口づけをする。キスのあとの行為を由美子に拒まれた直哉は、「由美子は俺を好きではないんだ」と思い、その後彼女から身を引きはじめる。 
  二人はあるきっかけで再び付き合うこととなった。秋の弘前「菊ともみじまつり」のイヴェントがあるので行こうョ、と由美子に誘われ、弘前公園で二人はデートすることになる。
その日、副島由美子は直哉と男女の関係になる気持ちになっていた。そして直哉は由美子の仕草から十七歳の女子生徒の蕾が開くような決意を感じ取ったのである。
 だが不運な事件が起こる。結ばれるはずだった二人は再び引き裂かれてしまった。縁がなかったのであろうか、それ以来二人の仲はパージされたのだった。

 大谷直哉は仙台の国立T大学教育学部を卒業した。教職には就かず製薬会社の営業員となって社会に出る。四十二歳のとき彼は事情があってイギリスの世界有数の製薬GX社の東京支社のプロダクトマネージャー職を辞し、弘前地区担当プロパー(現在のMR・医薬情報担当者)として故郷にUターンする。
 Uターンした年の夏、高校の同窓会に参加したときのことである。出席した大谷直哉は同窓会で偶然副島由美子と劇的な再会をした。二十数年ぶりである。それはあまりにも運命的なリーユーニオンであった。副島由美子は成熟した魅力的な女性になっている。お互い子供もいる環境なのだが、その後何度か会う機会があり、高校二年生のときの結ばれなかった初恋の炎がくすぶり始めたのは、二人にとって川を流れる水のように自然なことだった。
 彼女は直哉が担当する病院の薬局長の職に就いている。プロパーは病院訪問のおり先ずは薬局長に会うのがセオリーである。高校の頃二度離れた二人だったが、このように再会するのは…、縁というものなのかもしれない、きっとそうだ、と思う大谷であった。 
 高二のときの口づけはしっかりと彼の海馬に焼きついている。仕事先でも会うことになるということは、きっと二人の間には赤い糸のようなものが…、彼女と結ばれる何かがあるのでは…、直哉にはそれがよく分からなかった。
 仕事で副島由美子の勤務するO病院を訪問したときのことである。由美子は「あなたが行くところならどこへでも行く…」、そして「そう決めたんだから」と、美しい大きな黒目に涙をあふれさせて直哉に告げたのである。直哉はいたたまれなくなって逃げるようにその場から去った。
その後弘前のスナックで偶然会った由美子から直哉はメモを渡される。メモを見て考え抜いた直哉は家族と別れて由美子と一緒に暮らすことを決意する。
 初めての口づけをしてから二十数年経っている。副島由美子からのメモは神の導きなのかも知れない。

 だが、約束した二人が会う日の夕方、副島と名乗る男から「今晩、行けなくなったので」と大谷に電話があった。夫と推察される男の電話では、由美子という主語のない会話が交わされる。彼女に何があったのか、なぜ彼女自身が直接電話をかけてこないのか、あるいは電話をかけさせてもらえないのか、かけられない状況になったのか、大谷はいろいろ考えさせられる。夫は「行けなくなったので」とだけしか言わない。一方大谷は夫に何か尋ねると由美子に悪いことがか起こりそうな気がして理由を訊く勇気はない。

 高校二年生のときの不良三人による「礫」、その後二十数年切れた直哉と由美子の赤い糸、そして由美子が直哉の入学した国立T大学のある仙台市まで「お、い、か、け、た」という彼女の告白、などなど。二人の間には、ロミオとジュリエットの垣根が「ナバロンの要塞」にように立ちはだかっているように思える。

 真相は夫の電話のあった日から十二年後に明らかになる。
 どうして二人は女の子と男の子が手をつなぐように一緒になれなかったのか。
 神様がいるのなら手を合わせて聴きたい大谷直哉だった。
 その後、副島由美子は五十七歳の若さで亡くなった。
 膵臓癌だったという。 
 直哉は彼女の「見舞い」にも「お別れ」にも行かなかった。いや、行くことが できなかった。
 二人の間には「ファーストキス」しかなかった。だが、心はかたく結ばれている。

 二人は「赤い糸橋」を渡れなかった。
 不可視の何かが、大谷直哉、副島由美子二人の間に憑依としてあったのだろうか…。

 もうすぐ泉下の客となる大谷老人は、高二のときの「初めての幼い口づけ」をした日のことを思い出さない日はない。
 それは斑(ふ)の入った病葉(わくらば)のように行き先のない行路の想い出である。