当初は『21エモン』の後番組も藤子アニメが制作される予定だったが、当時テレビ東京が月曜19時に小学館の刊行漫画を原作とした『炎の闘球児 ドッジ弾平』を放送していた。藤子・F・不二雄の作品の多くは小学館から発行されており、放送枠の裏表が同一出版社の漫画原作のアニメをぶつけるのは難しいという判断[2]から、藤子アニメ以外の作品を放送することになった。

 

アニメ『クレヨンしんちゃん』、当初は本命の作品を引き立てるための“かませ犬”

実は『クレヨンしんちゃん』は本命の企画を引き立てるため、“かませ犬”として提出したアニメ化候補作だったというのだ。しかし、「大人が子どもに振り回される斬新な家族アニメ」と評価されてアニメ化が決定。この知られざる真実に、一同は「えーー!!」とビックリだった。

 しかし、初回視聴率は惨憺たるものだった。制作現場には早々に打ち切りムードが漂い、スタッフは「どうせ打ち切りになるなら、とことん子ども向けに振り切ろう」と決意。どんどんおバカギャグを投入し、子どものファンを次々と獲得。視聴率も上昇し、放送スタートから1年3ヶ月後には世帯視聴率28.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。

 しかし、しんのすけの口調をマネする子どもが急増し、親世代からの苦情が殺到。その影響もあって、しんのすけの刺激的なギャグが放送で封印されるなか、制作スタッフは代表的なギャグのひとつ“ケツだけ星人”は死守しようと心に決めたそう。ところが、2002年にはついに“子どもに見せたくない番組”の第1位という不名誉なしくじりを打ち立ててしまうのだった。

 そんな流れを変えたのは、劇場版シリーズ9作目『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』。手がけた原恵一監督は、それまでとはひと味違う“泣けるクレヨンしんちゃん”を制作。すると、大人たちまでもが涙するという事態が起きたのだった。これまで『クレヨンしんちゃん』を一度も見たことがないという若林もこの映画エピソードを聞いて「映画はこうなるっていうんだったら、明日から(見るのが)止まらないですね」と、俄然興味を示していた。
 

 

アニメ「クレヨンしんちゃん」は、本命の企画を引き立てるための「かませ犬」としてアニメ化が検討されていました。しかし、局の上層部から「大人が子どもに振り回される斬新な家族アニメ」と評価され、アニメ化が決定しました。

 

 

旭通信社が『クレヨンしんちゃん』のアニメ化を企画。それをテレビ朝日編成局編成部長の高橋浩[3]とシンエイ動画に持ち込み、1992年1月13日にテレビアニメ化が決定した[4]。ただし、あくまで別に存在した本命の企画を引き立てるための「かませ犬」としての企画であった[5]。当て馬から一転アニメ化された理由は「『ちびまる子ちゃん』とは違った、子供が大人を振り回す作品をテレビアニメにしたら面白そう」とのことだった。このため、本作は元々『ドッジ弾平』終了までの繋ぎ番組という扱いでしかなく、『ドッジ弾平』終了後は直ちに元通り藤子アニメに戻すつもりであった[注 2]

このような経緯もあり、当初はシンエイ動画社内でも力を入れていた作品ではなく、上層部からも「半年持たせてくれ」と言われていたという[6]。放送初回は4.0%と低視聴率だった。初回視聴率の低迷を受けて、放送2回目以降のテレビ欄では『アニメ・嵐を呼ぶ園児クレヨンしんちゃん』と表記されるようになった。この「嵐を呼ぶ」という決まり文句は、当時のプロデューサーである太田賢司らが新聞の表記を目立たせるために急遽捻り出されたものである[7]

その後同年5月25日には10%超え、翌年の1月11日には20%を超え、1993年7月12日には28.2%と歴代最高視聴率を記録し、同月4歳 - 12歳の個人視聴率が67.6%[8]に達した(