誰だって、自分は正しいと思っている

本書ではこんな例が挙げられていました。

1931年、ニューヨークでの前代未聞の立てこもり事件の主役、凶悪殺人犯でピストルの名手、"二丁ピストルのクローレー"がついに捕まった。
彼は事件当初、田舎道に自動車を停めて、ガールフレンドを相手に、怪しげな行為にふけっていた。そこに、一人の警官が自動車に近づき、「免許証を見せたまえ」と声をかけた途端、クローレーはピストルを取り出し警官に乱射。警官が崩れ落ちると、相手のピストルをひったくった後にさらにもう一発を撃ち、とどめを刺して逃走し、その後大量虐殺を行った。

クローレーが電気椅子に座った時、彼はなんと言ったか。

「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ!」

この話の要点は、
極悪人ですら自分が悪いとは思っていなかったのに、まして一般人は自分のことをどう思っているのか?
ってことです。

自分を正しいと思っている人に対してそれを諭すのは、かなりの労力が必要ですよね。誰でも思い出せる経験が一つはあるのではないでしょうか?

 

そもそも、批判するメリットがない

批判をすると、自分が正しいと思っている相手はだいたい怒ります。
これに対してカーネギーは、

批判が呼び起こす怒りは、従業員や家族・友人の意欲を削ぐだけで、批判の対象とした状態は少しも改善されない。

と批判することの無意味さを語っています。
さらに、

死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえいればよろしい。その批評が当たっていればいるほど、効果はてきめんだ。