今宵、フィッツジェラルド劇場で(2006)

この難物映画の楽しみ方を僕的に紹介します。

まずは前知識!!

まず、この映画はロバートアルトマン監督の遺作となった。

アメリカでは2006年6月9日に760館で公開され、

監督は、同年11月20日に81歳で他界した。


映画は打ち切りの決まった架空のラジオ音楽番組の

最後の公開生放送を、劇場の舞台裏とともに描いた群像劇。

脚本は

ラジオ番組で司会するギャリソン・キーラーが原案・脚本・出演。

モデルとなったラジオ番組は『プレーリー・ホーム・コンパニオン』

と言って、1974年に始まり現在も放送中の実在するラジオ番組で
 
日本でもFENのラジオ放送
 
(AFN東京局のAMラジオ放送 810kHz)で聴ける。

ラジオ番組はフィッツジェラルド劇場を本拠に放送しており、

土曜にライブ公開放送されるが、日本では日曜午後4時から聴ける。

僕も何度となく聴いたことのある番組です。

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この映画の見所だが

まず、架空のラジオ番組であるが、

中身は『プレーリー・ホーム・コンパニオン』の番組通り

カントリーミュージック、ゴスペルなどの南部音楽と

卑猥のジョークが面白い。

司会は、ご本人が登場しているので、これは本物だ。

この劇場名は

「華麗なるギャッツビー」、最近の「ベンジャミンバトン~」

の作家、アメリカ文豪のフィッツジェラルドが

よく聴きにきたというので、彼の名前がつけられたという。

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アルトマン監督がこだわる群集劇。
 
彼の作品はあらすじを追うのではない。

そこにある事象を楽しむ映画なのだ。


この点は作家フィッツジェラルドのこだわった客観的描写に通じるものがある。

観客は、彼の映画から、ただ起こっていることを見るのだ。

監督は観客に何を見せたいか、決めていないそうだ。
 
各々勝手に、映画から好きなところを自由に選択してほしいという。

つまり映画で何が起きているかは、観客が勝手に見て楽しんでほしいと。

彼は脚本は読まないそうだ。彼には必要ないそうだ。

俳優に自由に演技させる。

彼は言う、カットしないで最後までベタ撮りできる映画が一番だ。

だから、まあ俳優が自由気ままにノビノビと演じている。

ほとんど俳優のアドリブらしい。

そして監督はこの作品で自分の死を意識している。

天使(死神)が登場して何名かが旅立ちシーンが登場する。

映画では死ではなくて旅立ちだと主張している。

映画は支配人(保安係)に天使のお迎えが来る場面で終わる。
 
たまには、こんな変わった映画を観るのも、いいかもしれません。