さて。
続き。
保健の先生の旦那さんに聞くと
手術はうまくいったとのこと。
嬉しかった。
先生は
学校を辞めてからのゆめがあった。
それは
不登校の子たちが
いける学校を作ると。
それを着実に動かしていたのを知っていて。
場所も決まっていた。
働く人もどんどん決まっていて。
そこであたしも働いて欲しいと言われていたから
高校卒業したら
働きながら音楽の夢を追うつもりだった。
あたしにできるかわからないけど
やってみる!と言っていた。
先生が何ヶ月かして退院した。
あたしが先生にかけたのか
先生から電話がきたのか曖昧だったけど
すっかりよくなったと。
声は少し掠れているように感じたけど
あたしは安堵した。
多分2時間くらい話してしまったと思う。
(主に自分の話ばかり)←相変わらずだね。
先生はずっとあたしの心配をして
ずっと、
あたしの話を聞いてくれた。
そして
その2日後ぐらいだったかな。
電話がなった。
珍しく先生の旦那様からだった。
今、家内の手帳を見ながら片っ端から電話してます。
まーその後の会話はあんまり覚えていない。
覚えているのは
亡くなりました。
と。
呆然としたよね
え?二日前に治ったって言ってたのに
どうして?
今になってみたらようやく
わかる。
あの時の先生の優しさや
気持ちや
全部。
2時間も体調悪い中人の話聞けます???
わかってたんだよね?
ごめんなさい。
気づけなくてごめんなさい。
いつもご飯奢ってくれて
有名になったら
たくさんご飯おごってね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
なんて言ってくれてたなぁ
あたしなんも返してないじゃないか。
泣きじゃくりながらフラフラになりながら
お葬式にならんで
たしか、数学の先生があたしに
声かけてきてくれたのも覚えてる。
そして相変わらず
学校がギリギリの単位で。
笑
補習補習に明け暮れて
数学の先生に
二日間放課後みっちり教わって
テストを受けたら90点とった。笑
いつも平均以下のあたしが。
初めて
大学を行くことをすすめられた。w
短時間ですごいよ!と。
でもあたしには
ゆめがあった。
みんな、進学する場所が決まっていく。
就職も決まっていく。
唯一決まらなかったのは
5クラスあって
門西ただひとり。笑
『歌手になるためにバイトして養成所通います』
これを堂々と言い
周りも一切馬鹿にせず
応援してくれた担任の先生にも
友達にも感謝してるし。
あの頃のあたしは
世間体なんてどうでもよかった。
なんの不安も一つもなかった
18歳のあたしが
歌手になると信じて
進学をしなかった。
今思うとファンキーだ。
ちなみに、保健の先生が
亡くなった
その何ヶ月か後に
またあたしと仲が良かった
大好きな先生が
不慮の事故で亡くなったんだよね。
たしか35とか言ってたな。。。
きつかったなー。
だから
あたしはいつも思うんだ。
毎日死ぬ気で全力で
生きて
寝て
次の日また生き返って
生きる。
おかしいかもしれないけど。
後悔のない人生を生きようとおもっているし。
感謝の気持ちも絶対忘れないし。
もらった愛はたくさんの人に与えたいと思っています。
先生がゆめだった
不登校が集まれる学校を
作るのがもうひとつの
わたしのゆめでもある。
わたしの使命だと思っている。

