人類の意識が変容しています ![]()
今後どのような世界に住みたいか?
全ての人類がその選択を迫られています。
世界は、人の数だけ存在しています。
個人の現実を決定するのは、個人の意識です。
大切なことは、『個人にとっての真実』
他人と同じである必要はありません。
自分の現実に責任を追えるのは、他ならぬ自分自身です。
これを基本にして色んな想いを綴っていきたいと思います。
お別れです
突然ですが、このブログをいったん打ち切りたく思います。
理由は色々ですが、最も大きい理由は時間的に無理になってきたことです。
一日がどんどん短くなってきているせいでしょうか・・・
優先順位を片付けていくと、また今日も記事を書けなかった、という具合に書きそびれてしまいます。
それを押して書こうという気にもなりません。
感じてることはたくさんあるのに、言葉が出てこないんです。
どの言葉もしっくりこないので、書き直すことも多くなってました。
だから余計に時間が足りません。
多分伝えたいことは、伝えきったような気もしています。
今までコメントやメッセージを下さった方、ぺタして下さった方、そして読者登録をして下さった方々
本当にありがとうございました。
最後にメッセージを添えてお別れの言葉とさせて頂きますね。
必要な答えは全て皆さんの心の内側に用意されています。
それらは準備が整うごとに、少しずつ明かされていくことと思います。
それを信頼して、人生という航海の舵を取っていってください。
穏やかに凪いでいる時もあれば、荒波の時期もあるでしょう。
それでもその流れを信頼して、突き進んでいって下さい。
たとえ真っ暗闇の中に居るように感じたとしても、一条の光は必ず見出せます。
それは真摯に光を求めるその人自身の意志と勇気に依ります。
そしてできれば、航海そのものを楽しんでみてください。
私もそのように日々精進していきたいです。
では、また・・・合掌
異次元での目まぐるしい変化に思うこと
4次元とは主に幽界や霊界とか言われていますが、
私の解釈では、幽界自体は3次元に隣接しているので、
3.1次元からが幽界という認識を持っています。
ここでいう次元とは数学的なものではありませんので、
異次元領域を把握する際は、主観に拠るところも多分にあるように思われます。
世に出回っている大半の異次元情報は、チャネリングによるもということもあり、
繋がる存在の関わる次元によって次元の捉え方も微妙に異なっています。
そんなこともあって余計に曖昧にならざるを得ないのですが、
そもそもきっぱりと線引きできるようなもではないでしょうし、
もし仮に次元間の区別を明確に伝えている存在がいたとしても、
それを正確に受け取れるほどには人間の認識力は追いついていないと思います。
そんなことも念頭に入れて私なりの解釈をさせてもらっています。
幽界とは別に人間の思いが凝り固まって出来た世界、すなわち想念界があります。
一般的な説によると、3次元と4次元の境目辺りに想念界が存在するとのことです。
(ちなみに霊界は5次元で、天上界とか天国とか言われている世界です。)
ですが、私は幽界と想念界は混濁しているように観じます。
ここ地球の3次元世界が二元性の世界であるというのは過去記事で何度か取り上げていますが、
では幽界など、3次元以上の領域では、二元性は解消されるのかと言えば、そうではないように思います。
二元性が解消されるのは5次元以上の世界のようで、5次元以下の世界にも二元性は存在し、
光の世界や闇の世界というものが存在するという説が一般的にも多いように思います。
この3次元世界は4次元世界の写し(雛型)であると言われているのも、
こういったことによるものだと思います。
つまり4次元世界における二元性が、そのままこの現象界に写し出されているというわけです。
岡本天命の日月神示でも光と闇の戦いと言う表現が使われていますが、
それは、この4次元世界、(想念界も含めた幽界から霊界にかけての領域における戦い)
のことを語っているのではないでしょうか。
もっとも日月神示は、霊界の中でも特殊な世界から降りて来た神示のようなので、
4次元の全域における仕組みでは無さそうですが。
ちなみに大本教の出口王仁三郎の霊界物語では、「霊界」と言われている領域には幽界も含まれ、
「神界」と言われてるところが霊界の最上部(俗に言う天国)も含めた領域のことではないかと思います。
前回の記事で、異次元世界が速いペースで変化しているように感じると書きましたが、
これは主に想念界と幽界の領域において顕著だと観じます。
意識と想念は連動し、互いに影響し合うものなので、
人類の意識が上昇することによって想念界や幽界も浄化され、
すっきりと整理されてきているせいで、異次元の変化も加速しているのでしょうが、
それだけでは片付けられない奇妙さも同時に感じています。
何者かが、意図的にこの領域をいじってるような感じがします。
それが光の存在によるものなのか、闇の存在によるものなのか・・・。
おそらくせめぎ合いが激しくなってきているせいでしょう。
幽界(4次元)以上の存在で、なおかつ私たちよりも知性ある生命体が
異次元から地球へと積極的に関与している・・
オリオン、アンドロメダ、シリウス、プレアデスなどの俗に言われる宇宙人だけではなく、
天使とか妖精とか妖怪とか、様々な呼び名はあるでしょうが、
そういった異次元の多種多様な生命体がこの地球に向けている関心は、
日毎にエスカレートしていってるようにも思えます。
前回も書きましたが、だからどうなんだ、という話でもあるこの話・・・
結局は自分自身を探すこと、そして自分自身を生きることが本質的なことですので、
ティータイムの暇つぶし程度のお話として聞いて下さい(笑)
自分の直観を研ぎ澄ませて行くこと、最終的には自分の直観だけが頼りのこの世界。
直観を研ぎ澄ませるための内観であり、瞑想であり、マインド(コントロール)からの解放のため
日々精進するしかありません。
アセンションと悟り
私はアセンションに関することをあれこれと書いていますので、
『アセンション肯定派』 と思われているかもしれませんが、そうでもありません。
どちらかというと懐疑的です。
でも全く否定しているわけではありません。
アセンションとは次元上昇、すなわち周波数が上昇することです。
アセンションで謳われているのは、地球の周波数が上昇することにより、
それにつれて人類の周波数も上昇していくということです。
人間の意識の周波数が上昇するというのは、『悟り』 の境地に至るということですが、
それは地球のアセンションを待たずとも起こりうることで、
実際にこれまでにも何千、何万という数の人々が悟りの境地に至っています。
代表的なところでは、釈迦、イエス、老子、マホメットのような人々です。
それ以外にも日本で言えば空海とか、役の行者、一休さんなどなど・・。
これらの人たちが悟りに至る、つまりアセンションする度に地球が崩壊したわけではありません。
ですので、地球の大転換と人類の悟りを一緒にするところに疑問を感じています。
そこは切り離さないと見えてこないものが沢山あると思うのです。
悟りという現象は基本的には集団的な現象ではなく、あくまでも個人的な現象です。
例外としては、僧院やアシュラムのような場所で修行を積んだ者達が、
集団で涅槃の境地に至ったという話を聞いたことがあります。
これは集団アセンションと言える実例かもしれません。
このケースでも、無意識的な凡人が突然アセンションをしたのではありません。
悟りに至る道を本気で求めた人々、真の求道者に起こった事例です。
ですので、悟りは本気で求める人々にしか起こらない出来事であるのは明白です。
私の体験からも、安易なアセンションなどは、決してあり得無いという結論に達しています。
様々な心理的プロセスを経ながら、自分の中の闇と対峙するのは本当に大変なことでした。
相当にエネルギーが要りますし、中途半端に関ることはできないことだと分かります。
かと言って、誰もが私のような努力や根気が必要かと言うとそうも思いません。
それは過去生でどれだけの修行をして来たかに拠りますので、
今生では比較的楽なプロセスで周波数を上げていくことができる、
という人もいらっしゃるとは思いますし、むしろそういった人たちがたくさん転生しているのが
今という時代だとも思っています。
ですが、集団的に何万人という人たちが、しかも同時にアセンションするということに疑問を感じています。
もうひとつ疑問なのが、地球の次元上昇という話です。
地球が苦しんでいるのは明白ですが、地球自体の次元が上昇しているかどうかは分かりません。
ですが人々の意識を上昇させるようなエネルギーが、
今この地球に到達しているという実感は大いにあります。
このエネルギーがどこから来るのかも諸説あります。
銀河の中心からのガンマ線や太陽フレアによるものやフォトンベルト説など
有力候補がありますが、それら全てを含むもっと大きな宇宙の采配を感じます。
また、異次元イコール宇宙というとらえ方もできますので、物質宇宙だけではなく、
異次元宇宙も含めた巨大な規模の何かが起こっているという実感はあります。
日々受け取る異次元の情報も目安にはなりますが、それも日によってバラつきがあり不安定で
100%確信できるわけではありません。
このような訳で、アセンションについてはさまざまな角度から検討中です。
けれどそんな中、これだけは言えます。
それは、意識の次元上昇、すなわち悟りの境地に至るというのは
人間が地球に生まれてくる真の目的だということです。
今は全くそんなことに興味のない人々でも、いずれはこの境地を求めるに至る。
これを求めるまでの道のりは長く、何回もの転生が必要な場合もありますが、
この境地を求めるようになれば、そこから悟りまでの距離は意外と短いとも言えます。
特に今という時代は周波数を飛躍的に上昇させるような宇宙的な環境が整っていることもあり、
全人類にとっても大きなチャンスであるということです。
先ほども言いましたが、これはもちろん本気で求める人、
自分と向き合う努力を怠らない真摯な人たちに限って言えることだと思います。
南欧での大洪水から思うこと
ニュースを見ないので知らなかったのですが、南欧でも大洪水が起こってるようですね。
浅川嘉富さんのブログ で知りました。
フランス、イタリア、スペインで深刻な被害が続出しているようです。
世界各地で想定外の天変地異が相次いで起きているというのに
ニュースなどで大きく取り上げられていないようです。
日本の報道機関は完全に脳停止状態なんでしょうね。
それとも私がテレビを見ていないから判らないだけでしょうか?
日本で起きた東北の大震災以降は、なおさら強く思うのですが、
これらの被害が自然災害なのか、人為的なものなのかは置いといて、
世界各地の様々な深刻化した状況に対して、無反応のように振舞える社会というのは
根本から病んでいるし、その根は深いと思います。
問題意識を持つことや危機察知能力のような感性が眠りこけている人々・・・
そういう人の方が圧倒的に多いのでしょうが、それに対してとやかく言うつもりはありません。
まぁ残念なことではありますが・・
それよりも私なりの方法で地球の調和に貢献することがますます大事と思うようになりました。
そのためにも人の意識に関わることを仕事以外でもどんどん広げていきたいと思ってます。
心と心が触れ合えるような場を提供すること。
自分と自分の周りにいる人たち、そして出会う人たちに対して、
少しでも心を込めて応じることができるように集中していきたいと思います。
今までもそれを信じて頑張ってきたし、これからも短いかもしれないけれど、
残された人生を悔いのないよう、精一杯心を込めて生きていきたい。
洪水のニュースを知って、少しナーヴァスになってしまっているかもしれないけれど、
ふと思ったことを書き留めたい気になりました。
サトルボディヒーリング
ハートと繋がる・・・
言葉にすればたったそれだけのシンプルな事だけれども、
実際に繋がるのはそう簡単ではありません。
いえ、本当は簡単なはずなんですが、頭がややこしくさせています。
それについて考えれば考えるほど、取り逃してしまいます。
頭(思考) はそれくらい厄介で、私たちを真実から遠ざけてしまいます。
だから考えるよりは感じること。
感じることに集中できる時間を作る必要があります。
その方法としては瞑想などを取り入れて日課にしてみてください。
そうすれば必ず変わります。
一度体験して味わってみると、それがどれだけ簡単でシンプルなことだったかが分かります。
そしていつも本当は繋がっているのに、ただそれに気づかなかった
ということも分かります。
私たちがどれほど深く頭(思考)に洗脳されているのか、それはかなり深刻で精神病的です。
そこで、超オススメの本をご紹介します。
精神世界とは個人の内的な世界のことなので、全ての人に実践可能なマニュアルはありません。
そういう理由から、真実を語る際には、どうしても抽象的にならざるを得ません。
ですので、「こうした方が良い」 というようなアドバイスを断定的に書いてあるような本は
逆に敬遠してしまいます。
ですが、この本は大いに具体的で実践的でありながらも、
個人の領域を侵すような部分はなく、人類共通の普遍的なエッセンスのみが盛り込まれています。
それでいてシンプルで取り組みやすく、なおかつレベルが高いという秀逸さです。
このように繊細なレベルに対する配慮に富んだ本はなかなか無いと思います。
著者はOSHOの古くからの弟子、3名による共著です。
7つのチャクラと7つの身体の仕組みもよく分かるように解説しています。
感情と向き合う方法や 「あるがままに在ること」 の実践法も載ってます。
内容がかなり深いのに、ページ数はそんなに多くはなく、シンプルに上手く纏まっています。
成長に応じて深く味わっていける、まさに探求の友。
是非読んでみてください。
こちらから
も見れます。
“サトルボディヒーリング” ( 和尚エンタープライズジャパン )

ハートからの信頼
このブログのハートと繋がる のテーマでも触れていますが、
これからの時代は何を差し置いてもハートと繋がることが大切だと思います。
私が最初にOSHO に惹かれた理由も、ハートがビビっときたからです。
この宇宙は電気的な宇宙と言われていますが、まさに電気的なインパルスのようでした。
当時の私は矛盾だらけの世の中に辟易し、その牢獄のような社会から抜け出せることができるなら
命を欠ける価値があると本気で思っていた時期でもありました。
OSHOは私のこのような期待に十分に応えてくれる人物だという直観が働き、
今にして思えば、この直観がその後の私の人生を本流へと導いてくれたように思います。
それから25年以上の歳月が流れましたが、その時からこれまでの体験を振り返ってみると、
私の中心を貫いていたのは常に愛だったと感じます。
へへっ、ちょっとかっこ良過ぎかもしれません・・ 書いてる本人も照れてます。
でも、あえて言葉にするとホントにそう感じるんです。
もちろん表面的なところでは、ずっこけたり、脱線したりの連続でしたけれど、
それでも軌道修正してここまで来れたのは、愛のおかげかと・・。
この愛は、全ての人の内奥に在るものと同じです。
私にとってのそれは、OSHOという存在を通して贈られて来た宇宙からのギフト、
測り知れない恩寵のように観じます。
OSHOとの出会いが無ければ、今の私はただのスピリチュアルフリークの危ないおばさん・・
だったかもしれません(汗)
人は皆その中心核に愛を宿しています。
ただ、それをなかなか感じられないのは、頭が邪魔しているから。
頭の中の想念、思考が分厚い雲になって、愛という光を遮っている。
それで、愛とは似て非なるものである情に絡め取られてしまう。
巧妙なニセモノの光にもすぐ騙されてしまう。
現代人はマインド(頭)に支配されていて身動きが取れません。
頭とハートが大きく分断されています。
それをもう一度繋げることが、今の人類の最優先課題ではと思います。
その為のアプローチのヒントになるような事柄を、これからも取り上げて行きたいと思いますが、
スピリチュアル関連の情報の中で心理的なアプローチを提示しているものも
少なくありませんので、探せば色々と出て来ると思います。
自分のハートからの直観に耳を澄ませて、ビビっと来た情報と繋がってください。
先日の記事 でも取り上げましたが、
ハートからの信頼というキーワードを毎日の日課として取り入れることで、
これからの混迷の時代を乗り切れると思っています。
対極にあるものを受け入れること
過去記事 『戦いを終わらせる』 でも取りあげましたが、
対立する二極というのは、そもそも最初から対立していないものです。
この3次元という物質世界では、あたかも対立しているように見えているだけです。
善と悪、天と地、愛と憎しみ、光と闇・・など、対極にある(ように見えるもの)は、
同じ音程の異なるオクターブ(周波数)なのです。
対立するものが同じ音程だとすれば、そのどちらか一方だけを選ぶことで、
音程の半分しか味わえていないことになります。
どうせなら一つの音程の全てのオクターブを味わった方が、
人生は豊かになるのではないでしょうか?
豊かになるという表現はかなり控えめで、実際はそれ以上のものと捉えています。
一般的に感じられる豊かさや喜びといったような通常感覚を遥かに超えた、
絶対境地のようなものを味わえると思っています。
この上ない歓喜や至福といったような、古来から語り継がれている 『悟りの境地』 のような
そんな超感覚的なものを絶えずキープできるような気がします。
私自身も分離から統合へと進んでいくにつれ、こういった感覚に近づいていってることを感じます。
ワクワクとか楽しいといった感覚を垂直次元に上っていくといった感じです。
ですので、対極にあると見えるものの片方だけを選ぶことには意味が無いだけではなく、
むしろ弊害だとすら感じる今日この頃です。
この物質世界において、二元性(対立するもの)を探求し、
それぞれの音程のあらゆるオクターブを味わうことで、人生が豊かになるだけに留まらず、
それ以上の深い深い認識力、洞察力、神秘を解く鍵を授けられるように観じます。
憎しみが愛に、弱さが強さに、悪が善に溶け込んで、
内なる広大な闇の領域に全面的に光が射し込んだ時、
人は 「音無き音」 を聴き、その精妙な音色を聴き分ける。
ふと、そんなことを思いました。
対極にあるものの片方を拒み、一方のみを受け入れることで、
人の心はますます狭量になり、心の内に鳴り響く音無き音は
無意識のノイズに掻き消されています。
そして、真実の声も届かないほど遠い彼方へと飛ばされて
魂との断絶を余儀なくされ、生きることの真の意味も目的も見出せずに
夢遊病者のように眠りこけたまま、彷徨っているかのように思えます。
分離から統合への道を歩むにつれて、
存在が発する様々な音や多様な色のスペクトルが
自分自身に内在していることに気づきます。
その音を聴き、色を体感したならば、
片側の極だけを選ばないことの重要さが理解できるはずです。
信頼することの大切さ
外側の世界は内側の反映です。
内側の心の状態が外側に映し出すものを決定します。
内側に混乱や葛藤があれば、混沌とした世界が映し出されますし、
穏やかであれば平和で調和的な世界が現れます。
全ての鍵を握るのは内側の心、すなわち意識の状態です。
他人や環境のせいにしているうちは、外側の状況は変わりません。
それに気づくまでは外側を変えようと躍起になります。
外側を変えることに必死になればなるほど、物事はおかしな方向へと進みます。
そして更なる混乱の淵に追いやられるのです。
人はそんなことの体験を繰り返しながら、
自分こそがその状況の根本原因だったという事実に気づいていきます。
そうした時にはじめて、自分が変わるということに積極的に取り組もうとします。
自分が変われば外側の状況は変わります。
それは何かを手放すことを通して訪れます。
人には相手をコントロールしたい、相手に認められたい、相手を所有したいなどなど
様々な形の欲求がありますが、結局は自分を信頼できないことから派生しています。
だから究極のキーワードは、『信頼』 かもしれません。
自分を信頼するということはそんなに容易いことではありませんが、
それでもやってみるだけの価値はあると思います。
所有にまつわるあらゆる執着を手放して、自分を解放する。
自由な広大さへと自分を解き放つ。
そのためには、とりあえず 『あるがまま』 の自分を信頼する。
今この瞬間に感じていることやひらめきや直観を信頼してみる。
善悪の価値判断や評価も脇に置いて、自分自身に全面的にOKを出してみる。
そろそろ本気で取り組んでいく時期かもしれません。
時代はスピードをどんどん加速させています。
ほんの少しの信頼でも、状況は大きく変わるのではないでしょうか。
時が止まったような感覚
昨日は面白い体験をしました。
仕事場で朝から夜まで時間の感覚が全くありませんでした。
いつもと同じように過ごしていただけなのですが、
時間はどこへ行ったの?! という感じでした。
来客数が多かったこともあるのでしょうが、
お客様と語り合ったりしている間の時間が飛ぶように過ぎていきました。
まるで魔法にかかったような感覚です。
それぞれのお客様と深い話で盛り上がったから、
楽しいや喜びといったようなポジティブな感覚に浸っていたからか、
理由はよく掴めませんが、とにかく時間の流れが奇妙でした。
10月28日、マヤ暦の最終日に次元の扉が開いた感覚を受け取りましたが、
それの影響も大きいのでしょう。
3時間が10分ほどにしか感じられなくて、一日があっという間でした。
それなのに、とても濃い一日を過ごせたような充実感で漲っていました。
なんとも魔法チックな体験でした![]()
内面意識の時間が停止するというのは、きっとこういう感覚なのでしょうね。
マヤ暦の最終日から・・
マヤ暦の最終日から3日経ちました。
あの日から大きく次元がシフトしたように感じます。
終わりの始まりが本格的に始動開始しますといったようなメッセージを受け取りました。
古いものを終わらせないことには、新たな始まりはやって来ません。
地球に調和的なシステムの到来のためには古いシステムが崩壊しなくてはなりません。
これは社会的にも個人的にも言えることですが、基本は個々人の意識のレベルに当てはまります。
自分の中で不調和の要因を作ってきたと思われる全てのものを手放していって下さい。
自分を貶めるような感情や観念、思い込みや決めつけなどなど・・・
明らかに重たく感じられる類のものを自ら進んで手放していくことが求められていると感じます。
これからは時間の終焉に向けて、より一層スピードアップしていくと思います。
そして手放せた分に応じて意識が引き上げられ、軽くなっていくのを実感しやすいでしょう。
