コラム 落語名演音源二八 



 五席目

    三遊亭円丈 「ぺたりこん」
     WAZAOGI「三遊亭円丈コレクション6th.」のCD(WZCR-01006)

    

 追悼・三遊亭円丈師。

 昨年亡くなったことが報道された三遊亭円丈師匠。
 名著『御乱心』(※1)を先に読んでから、彼の高座に数回触れた私は最初、その著書のスキャンダリズムのイメージが強く、シニカルな語りの噺家を想像していた。だが、生で見る彼の話芸は意外に古風で、地の語りからくすぐりやボケの箇所に切り替わったときの口調がいかにも「ギャグを言ってます!」的な感じで、「スピードがないな」とか「わざとらしいな」とか、鼻白むところもあった。

 この「ぺたりこん」は、二十年以上ぶりに口演された際の音源。もちろん円丈師の創作(とはいえ、設定イメージは別の方に拠るものだそうだが)。売れっ子の柳家喬太郎師も口演するそうだ。
 周囲から煙たがられている無能社員の手が会社の机にくっつき離れなくなるという不条理劇。この荒唐無稽な設定に、現実社会の会社の労働法規がご都合主義そのものの手つきで振り回される。主人公の身は、最後まで不幸に苛まれて…。
 三十年以上も前にこのネタを作った円丈師の慧眼には畏れ入るが、その一方、社会の変化のためか、今、これを聴いていると、単純には笑えない。いくらなんでも可愛そう過ぎるのではないか、と感じてしまう。「年越し派遣村」の時代から、労働者を「備品」として扱う「派遣社員」の身分への理解が進み、私自身も含め、「明日は我が身」という不安に苛まれる人々が増えたためだろうか。全くのフィクションとは知りながら、笑い飛ばす気になれないのだ。
 この時、いかにも「さぁここが、ギャグですよ。笑うところですよ」と訴えているかのような円丈師の口調は、幾らか毒抜きの効果を挙げているようにも思える。お得意の名古屋弁もまたわざとらしく、聴く者に湧き上がるそういう批判的な距離感が、特に涙塗れになりそうな後半部の感性を押し戻してもいる。。

 その「わざとらしい」「大袈裟な」口調こそ、彼が愛する三遊亭一門としての基礎を感じさせる部分かも知れない。
 
 三遊亭円丈という落語家を知るにはオススメのネタだ。
 


※1 この大騒動の記録は、円生師自身よりも、その弟子達の人生を大きく変えてしまったものであり、落語界とその周辺の多くの人々を傷つける結果となったのは事実だと思う。この著の中で「悪役」を割り振られている先代の円楽師などは、言い返したいこと、説明したいことも沢山あったことだろうと思う。観衆に過ぎない私には、この著書を以てさらに対立を深めたように思われる円楽師、円丈師のどちらの言い分がどうだとは、判断できないし、そういう態度でこの著を読んでいない。私が名著というのは、例えば昭和や平成の、まだ終身雇用が幻想ではなかった時代の会社組織のイメージ、その派閥間の抗争のように捉えると、実に読み応えがある本だといいたいのだ。


                          藤谷蓮次郎
                           二○二二年一月十一日