沢田研二・冷たく美しい「自分」への旅

 

1月8日に追加した解説動画です。

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Ⅰ ヴァルネラビリティと友愛

   (の三つめのパート)  

 

 

 しかし、長い年月を経て、彼が最近我々に示した「受苦」には、自らそれを引きうけ、肯定的にその機会を活かす積極性があった。
『キネマの神様』での沢田の演技は、志村の間(ま)をコピーしようとして、それだけ逆に志村の偉大さを際立たせるものだった。
「たぶん、志村けんさんならすごく笑えたのだろうな」
 多くの観客が、スクリーンを観ながら、そう感じたはずだ。
 つまり、あの役を演じることは、志村けんという不世出のコメディアンが「いなくなってしまった」という事実を、我が身の不充分さに加点させる形式で、追認することなのだ。ここに映っている沢田の存在は、偉大なる他者(志村けん)の喪失を覆い隠すという一般的な振る舞いとは逆だった。それは、不在者の魅力を生々しく刻印するものだ。言い換えれば、あの映画での沢田研二は、製作に関わる者たちや観客とともに、志村けんが失われたことの「苦しみを共にすること=Sym-pathy」(鷲田清一。前掲書)を示したのだ。
 すなわち、沢田研二は、あの映画で、他者と共にある「受苦」を演じたのだ。柄谷行人はかつて武田泰淳を論じ、「死」に始まる社会の再編成の時間過程として、葬儀を捉えた(『マルクスその可能性の中心』)。沢田研二は、志村けんの葬儀の過程として、志村けん亡き後の世界を編成し直すために、この映画へ出演したのだろう。ゆえに、失われた死者への敬意が強いほど、生きてそれに代わろうとする彼の負担は大きい。ただ、この負荷を担うことを決心した人間によって、残された多くの人間がその働きをきっかけに、新たな関係を構築し始めることになる。ここに、死者への敬意と生者への友愛が両立する。
 沢田がこの映画に出演した最大の理由は、この「友愛」にあるはずだ。臨床の場にある医師のように、彼は自らをその場に捧げる。その時、他者の気まぐれに振り回される自分の存在の被虐性を自覚しつつ、状況への超越的視野を失わない。森茉莉は沢田研二を、「ノンシャラン(ずぼらさ)」という言葉で評した。だが、常に周囲に対する疑り深い観察力を向けていたことを、沢田自身が後年述べている(『我が名は、ジュリー』)。つまり、森の言うノンシャランさは、周囲へ張り巡らせた意識の高さ、いたぶられる「自分」への視線の距離と両立するものだった。あの二つの瞳。どんなに陶酔しているように見えても、他者との距離感を失わないあの視線。それこそ、永年に渡る彼の活動で失われなかったものだ。

 

    (今週の金曜日に公開の第二章(「Ⅱ」)に続く。)

 

          藤谷蓮次郎

           2022年1月2日