小説 「やあ! ブルース・ボーイ!」

 

 1   (前半)
    
「というわけで、今年の夏は帰省できそうにない」
「そうか…」
 雨が窓を濡らしていた。昨日、東海地方にも、梅雨入りが宣言されたばかりだった。
 高校の進路指導教員としてのこの夏のスケジュールを説明した後で、今年は帰省出来ないということを私は伝えた。家の固定電話の受話器からも、兄のがっかりした様子が分かった。
「まあ、仕方ないよな…。でも、修介も、楽しみにしてんだ。ほんとに。今度はおじさんと何して遊ぶべなって」
「修太」という兄の名とそっくりな名前を持つ無口な甥っ子のことを、私は思った。彼はもう小学校の高学年だった。「おじさん」なんて言ってくれるのも、いつまでのことか。
「おばさんたちのこともあるしね…。帰って顔を見たいんだけどね」
 震災以来、私は五人生きている叔母たち、母の姉妹である東北の田舎町のおばあさんたちを、毎年の夏ごとに回るようにしている。まるで、それまで顧みなかったのを取り戻すように。
 震災で思い知ったからだ。いつ、誰が死ぬかも分からない―――。
 それも、今年は諦めた。ここまで、同僚教員の一人が産休に入り、もう一人病気療養に入ったため仕事全体のバランスが変わり、一学期中に進路室の片付けがつかなかったから。
「まあ、いずれにしろ、そっちは暑いんだべ。体に気をつけて稼がいよ」
 そう言って、兄は電話を切った。
 私は、「嫌になるな。仕事ばっかり…。…修介、かわいいだろうになぁ…」と、思わず独り言を言った。
「お正月にでも帰ればいいじゃない」
 背後でソファーに座っていた妻が言った。
「そうだねえ。ぜひ、そうしよう。……兄貴の五十歳の正月だし」
 少し曲がった電話の位置を私が直していると、妻はソファーから身を乗り出して言った。
「ねえ。ユウさんと修太お兄さんて、ほんとに仲がいいよね」
「なに、急に?」
「四十五歳になる弟が、五十歳になるお兄さんのことを気にしているなんて、あんまりないんじゃない?」
「そうかねえ…」
 私は考え込んだ。
「昔からそうなの?」
「いや、そんなことはないよ。…言われてみると、今みたいにいつでも気にするようになったのは、十年前にお袋が死んでからかな。…それこそ、俺が今の修介くらいのころは、めちゃくちゃ仲が悪かった。ほとんど顔を合わせないようにしてたくらい」
「三人しかいない家なのに、顔を合わせないでいられたの…?」
 妻は不思議そうに、眉を寄せた。

 

   (「1」の後半に続く。 「1」の後半は、明後日の午後7時に公開)