RCサクセションのゲンソウ

~~教室の隅で無口に座っていた君は、今はどこにでもいて、誰かのためにケッサクなマンガを描く~~

 

Ⅰ 「独立」とガラスの上の少年

 

 まだ三人組だったころの君たちの演奏を聴いた。近頃発売された、ライブの隠し録音(『悲しいことばっかり』)。そのころのライブなのに、一枚目と二枚目のアルバムに収録された曲は、ほとんど含んでいない。
 それは、スタジオ録音盤とは違っていた。スタジオ盤のように、聴く者の耳から入って、皮肉に口角をあげさせるだけのものではなかった。それはボクの耳から心臓に下って行って、全身を巡りながら響いた。まだ二十歳をいくつも出ていないころの、君の声。君たちの音。様々な音が足されていない、君たち自身。調音からいきなり演奏に入って飛び込んでくる、君の言葉。
    ♪ 僕がまだ小さかった頃に/あんたはあの世にいっちまった/僕がまだ小さかった頃に/あんたは胃がんで死んじまった//黄色いお月様が笑ってる/夜はいつまでも続きそうだよ
                         「黄色いお月様」 

 「胃癌」で亡くなった人物を歌ったこの歌を、君はスタジオで録音しなかった。……振り絞り、がなり立てるような君の声。それは天賦の才の現前だ。しかも、天国とは逆方向に向かう才能。
 天国への/からの才。それを天才と呼ぶならば、日本には二十歳代の天才があふれている。社会の耳目を集め、賞賛に浴し、輝かしい将来が嘱望される天才達。この国の十代、二十代にはそいつらが目白押しだ。しかし、五十代になってもそう呼ばれ続ける存在は、ほとんどいない。まるで凡庸な早熟さこそ、天才の要件であるかのように。
 君は違う。年齢を重ねれば重ねるほどに、時を経れば経るほどに、生々しくなった。君の声は、天国に憧れながら地獄の門をくぐる人の声なんだ。明らかに君は心の中に、暗くうねる海を抱きしめている。それは、一人の人間の人生では溜めきれない膿をぶちまけようとする呻きであり、叫びだ。
 あのスタジオ録音の数々の曲と、このライブ音源の曲と、どっちを君が大事にしていたかは、誰にでも分かる。スタジオは天国志向、ライブは地獄志向。君は天国の空をチラ見しながら、地獄の海に向かおうとしていた。
 ライブの中で、君はとても意地悪な慇懃無礼さで、客に喋っている。その皮肉な口調こそ、たぶん君がフォーク・ファンの間で生き延びる術だった。彼らは天国に憧れていた。しかも、自分が本当に天国への道を歩いていると、なぜか自信を持ってる奴らばっかり。だから今は楽しそうに、「懐メロ」の位置に収まることができる。
 君はフォークのその共同性がイヤだった。デビュー・シングルにあっては、GSアイドル・バンドのように演奏すらさせてもらえない。ただ歌うだけの三人だった(※4)。さらに一枚目のスタジオ録音アルバム(『初期のRCサクセション』)は、全曲を別のミュージシャンによってアレンジされた。その人(穂口雄右)はやがてキャンディーズのサウンド・メイカーとして名を馳せるポップ・センスの持ち主だった。だが、君はそれを好まなかった。みんなが歌う「幸せ」とか「自由」とか「楽しい」とか…。クソ食らえ! と思ったはずだ。観客に、お前らに何が分かるんだって、毒づきたかったんだろう? なのに、アコースティック・ギターとウッド・ベースという構成であったために、フォーク・グループだとイメージされてしまった。でも、とりあえずそのイメージに乗っかっても自分たちがやりたい音楽は出来る。若い君たちはそう思ったんだ。実際、当時の君たちのアルバムはフォークじゃない。後年の曲に比べると、ずっとポップな仕上がりで、詞もずいぶんとコミュニカティブだ。(皮肉を言う人間なんて、コミュニケーションに飢えてるもんだろう?)
 けれど、君は本心ではロバート・ジョンソンを一直線に見つめていたはずだ。あの、ブルーズとロックの始原に輝く「クロス・ロード」を。「天使」より「悪魔」を道連れに選ぶ人間だ。
  ♪ 俺とサタンは/並んで歩いた/俺とサタンは、オー/並んで歩  いた/俺はあの女を打ちのめすんだ/溜飲が下がるまで
    「ミー・アンド・ザ・デヴィル・ブルース」 訳・三浦久 

 思い通りにいかない恋人との関わり。自分なりには、彼女にゾッコン。でも、彼女はすっかり傷ついて、もうあんたの都合よくはいかないわ。気持ちよくなんてしてあげないって、背を向ける。彼女の心変わりを嘆きながら、どうにもできない自分。
 何が彼女を傷つけたのか。このクソッタレの世の中のせい? 誰も優しくなんかない人々のせい? それとも彼女が嘘つきで、だからこそ甘いメロディーを知ってるから?
 違う。違う。彼女を傷つけたのは、本当は君自身なんだ。誰かを非難する前に、君は自分自身を見つめてしまった。彼女が君の思い通りに振る舞ってくれないのは、こんな時すら、いつものようにキメてぶっとばそうぜ! としか言えない、君自身のせいなんだ。
 ボクには君の「雨あがりの夜空に」は、ロバート・ジョンソンの「フォノグラム・ブルース」の日本語ヴォーカルに聞こえる。
    ♪ ビアトリス、俺は俺の蓄音機が大好きだ/でもおまえは俺のネジ巻きハンドルを壊しちゃった/ビアトリス、俺は俺の蓄音機が大好きだ/ハニー、おまえは俺のネジ巻きハンドルを壊しちゃった/そして俺から愛を奪い、それを他の男に与えちゃった//(略)//ビアトリス、狂いそうだ/ベイビー、おかしくなりそうだ/ビアトリス、狂いそうだ/ベイビー、おかしくなりそうだ/戻ってきてくれないか/もう一度チャンスをくれないか     

 「フォノグラム・ブルース」 訳・三浦久
    ♪ そりゃひどい乗り方した事もあった/だけどそんな時にもおまえはシッカリ/どうしたんだ Hey Hey Baby/機嫌直してくれよ/いつものようにキメて ブッ飛ばそうぜ//(略)//Oh 雨あがりの夜空に吹く風が/Woo… 早く来いよと俺達を呼んでいる//こんな夜に お前に乗れないなんて/こんな夜に発車できないなんて      

「雨あがりの夜空に」
 ほんとは君は、フォークでもロックでも、どうでもよかった。君にとって重要なのは、「ブルーズ」だったんだ。それは、当時の日本フォーク・ファンの共同体的な性格、いっしょに共感しあう相互信頼とは逆方向を志向していた。「早く来いよと俺たちを呼んでいる」のは、ガラス一枚を隔てて、「俺たち」以外の人間たちから離れゆく世界だったんだ。

 

※4 GSブームで最も人気のあったザ・タイガースは、レコーディングで、二枚目のシングル曲から数曲は別のミュージシャンが演奏した。メンバーは、ヴォーカルとコーラスだけ録音したと言われる(磯前順一 『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』 98頁)。このような方法論は1970年代から80年代ころはよく行われたものだったのか、80年代初期に復活したザ・タイガースのシングルでも演奏は別のミュージシャンだったと、沢田研二が証言している(『我が名は、ジュリー』 176頁)。RCの本文で取り上げたエピソードも、当時のRCサクセションに対するレコード会社の評価をうかがわせるようだ。

 

 (「Ⅱ」に続く。 「Ⅱ」は、19日金曜日の朝7時半に続く。)