RCサクセションのゲンソウ

~~教室の隅で無口に座っていた君は、今はどこにでもいて、誰かのためにケッサクなマンガを描く~~

 

Ⅰ 「独立」とガラスの上の少年

 

 ボクは最初、君たちの大事なRCサクセションについて、そして君自身について、憧れや好感とは言えない感情を持った。
 君を初めて観たのは、小学生の終わりか中学生になったばかりのころ。テレビの歌番組。まるで「チンドン屋」みたいな人が現れた。少しの驚き。でも、そのすぐ後に、何か底なしの哀しみを感じたのを、今でもはっきり覚えている。その二人組の、たぶんキーボードをクールに弾いていた方が、「教授」と呼ばれる人。もう片っ方のがなり立てて動き回る方が「キヨシロー」という人だと知った。ギターを弾いている人もいたはずだった。その夏に買った「SUMMER TOUR」というシングル・レコードのB面で、たぶんこの人が「CHABO」と呼ばれる人だと知った。
  他人(ひと)の目を気にして生きるなんて/くだらない事さ ぼくは道  端で 泣いてる子供
        「い・け・な・い ルージュ・マジック」 忌野清志郎・     坂本龍一 
 きちんと聞き取れる歌い方。シンプルに明るいメロディー。けれど、「人の目を気にするなんてくだらない」と笑い飛ばしながら、なぜ「道端で泣いてる子ども」が出てくる? 二番でも、「他人(ひと)がとやかく言っても/どうしようもない事さ/誰にもあの娘をとめられない」と、君は歌う。人目を憚らず泣きじゃくる子供や、世間でイヤな噂を立てられても気にしない娘。ここで歌われているのは、他人を気にしない、自己に徹底した精神だ。けれど、それならば、なぜ君はあんな格好をしていた?
 本当に他人を気にしていない人というのは、確かにいるよ。でも、そんな彼らは、「他人のことなんて気にしない」なんて言う必要がない。もっと無神経な人たちさ。他人なんて、心の周縁にさえひっかけないでいられる人たち。
 でも、君は違う。精一杯「俺は泣いてる子供と一緒だ。人のことなんか、気にしてないぜ!」って歌いあげなきゃいけない。あの姿をして…。
 あの時の君は、哀しかった。たぶん、ボクが君たちから受け取ったのは、謎によって切り出された哀しみの恍惚だった。

 子どもも観る歌番組に、急に面白くも哀しい人たちが現れる。――そんな時代だった。今はもう「チンドン屋」って職業を知らない高校生の方が多い時代だよ(ボクが学校の授業で口にする時には全ての職業に「さん」をつけるから、「昔、チンドン屋さんって仕事があったんですが、知ってる人いませんか? ああ…。そう…。誰もいませんか…」)。
 当時の歌番組には、男性ながらに美しいメイクを施す歌手も出ていて、ボクらは男性メイクに慣れ始めていた。けれど、歌っている君の姿は、そのフロンティアだった沢田研二と並ぶほど「哀しく」「鮮やか」だった。「かっこよい」とか「キレイ」よりも、それはむしろ痛切だった。
 以来、ボクにとって、君は「哀しく鮮やか」な存在だった。それはボクを何か違う高原(プラトー)へと促した。プール・サイドではぐれた誰かを捜して、急いで旅立てとせき立てる呼びかけだった。ボクはそれから、噂を拾い集めるようにして、君の音楽を聴いていった。
 ところが、ボクは、最初期の君たちの音楽を快く聴くことはできなかった。ロック化と呼ばれる転換点まで、その切れ味の鋭い哀しみを感じることができなかったから。

 君たちの最初のヒット曲「僕の好きな先生」や、デビューシングル「宝くじは買わない」。ボクは白けてしまった。それはRCの初期、フォーク時代と言われる頃の産物だ。年譜によれば、一九七二年頃に出されたレコード。
 学生運動期にはやりそうな、甘ったれた感性。
 ボクはそう思った。どこにもスリリングなものはなかった。
 お金なんかいらない。お金じゃ手に入らないものこそ大事だって、ボクは知ってるから…。(はい、はい。それはよかった。)
 職員室が嫌いな先生が、ぽつんと美術室に一人でいて、僕をちょっとだけ叱るけど、僕は彼が好きな感じで…。(そんなに珍しい関係でもないけどね…。)
 一九六十年代に進行した学生運動は、近代社会の産物たるフォード・システム的合理性への改善欲求の表れだった。ひらたく言えば、能率重視によって蹂躙される労働者の人間性。そのほんの少しの断片を、国家や大企業といった社会機構へ取り入れるべきだとする要求だった。「革命」というよりは、すり合わせ交渉と呼ぶべきもののように、今は思える。
 君の初期のヒット曲は、そんな価値観にぴったり収まる。お金じゃ手に入らないものが大事だって? 否定はしないけど、お金が手に入らないために恋人も作れない人が、今はたくさんいるんだよ。ちょっと変わった先生? 先生は先生だしね。もちろん、ボクは同業だから特に厳しく、見ず知らずのその先生について何か言うわけじゃない。ただ、このころのシングルレコードに刻まれている君の歌が、あまりにも単純なんだ。よく聞き取れる君の声からあの哀しさが感じられない。それどころか、やけにわざとらしく嫌みなくらいさ。
 たぶん、そのころの君には、君の嫌いな先生たちや宝くじ売り場に並ぶ大人たちもまた乗っかっているガラスの床は、見えなかったんだろうね。
 高校を卒業して、中学時代の仲間でデビューした君たち。経歴から見れば、デビュー当時の君たちに何があったかは見当がつく。君が生涯嫌悪した職業的レコード制作者、芸能関係者による製作への口出し、方向付けは、この時上手く行っていたはずだ。
 でも、君たちはやがて、背の伸びた少年が古いズボンを履けなくなるように、それを窮屈に思い出した。

 

 (Ⅰの3分割の三つ目に続く。 3つめは、明日の朝7時半に公開)