RCサクセションのゲンソウ

 ~~教室の隅で無口に座っていた君は、今はどこにでもいて、誰かのためにケッサクなマンガを描く~~

  

Ⅰ 「独立」とガラスの上の少年


 ボクが君のラブ・ソングを聴いた時、世界が逆あがりした。
 君の愛は、多くの歌の愛と違っていた。何かの原液のような重さを湛えていた。しつこくせつせつと迫ってくる(※2)。まるでタールのようだと、ボクは思った。例えば海を抒情や神秘の場としてではなく、恋人の水着を汚す油の浮いた「Muddy Sea」と捉えたような、風変わりに粘ついた視点が君にはあった。
「この愛がなければ生きていけない」と人は歌う。でも、そこにはまだ、余裕がある。生きることと愛することを分けて考えている。愛は条件節に留め置かれる。冷静だ。ここは流行歌の業界。うまくやるには、情熱的に振る舞いながら人の目を気にし、合わせること。
 たぶん、君だって冷静さは求めていた。けど、君は反対の方向から冷静になろうとしていた。
  誰かが僕の 邪魔をしても/きっと君は いいこと思いつく/ どうってことないことで 僕を笑わせる/君が僕を知ってる        

             「君が僕を知ってる」

  君がボクを知っていてくれるから、ボクは生きられる。「ボクが君を知っている」ではなくて、「君がボクを知っている」世界。――ほとんどの歌の「我」と「汝」の世界を、君は「汝」と「我」の世界に転倒した。世界は細っこい君の体が蹴上げた足のつま先で、ひっくりかえってしまった。
 それを「独立」と、君は呼んでいた。
 ボクはその「独立」という言葉の意味を考え込んでいる。

 君の歌は、授業をサボって屋上で寝転んだボクに、教室の彼女の姿を見せてくれた。
 ――ガラス張りの屋根の上にボクがいる。真下の教室には、気になる彼女が授業を受けている。真面目な顔。なんてかわいいのだろう。自分で鏡を見てウットリしないのかな。教科書と先生の顔を交互に見比べてる。彼女、ゼンゼンボクに気がつかない。でも、気づいてもらおうと、このガラスを踏みならしたり、叩いたりしちゃ、そいつはすぐに割れちまう。落っこちて、教室の茶色い床に叩きつけられるボク。粉々になった無数の光の刃が降り注ぐ。他の人も巻き込んじゃう。大好きな彼女も、それ以外の人も。みんなは血だらけになったボクに言う。
「とても迷惑」
「スゲエ悪い奴」――
 ボクの人間としての大きな欠点の一つは、他人に迷惑をかけたくないって、いつも本気で思っていること。ところが、なぜかそのために、けっこう迷惑をかけまくってる。だから、たぶんそいつは善良さじゃない。過度の恥ずかしがり? ナルシシズムが強すぎるんだろうな。でも、君も同じココロの持ち主じゃないかって、ボクは思うんだけど、どうかな?
 とにかくボクは、自分が汚い一枚のタオルだって考えて、じっとしているしかなかった。どっかからここに偶然吹き飛ばされて来ただけの。
 人はそれを「ディスコミュニケーション」って呼ぶみたい。ディスコなんとかって言っても、踊れやしない。「コリツ」とか「ソガイ」とか、釣りの餌に使う虫みたいな名前で呼ぶ人もいる。
 君はずっと、「ディスコミュニケーション」を歌っていたんだと、人は言う。「コリツ」や「ソガイ」のシュダイがあるって。
 でも、シュダイなんかで歌は作れないよね? それに、君はそういったシュダイを歌うことで、「ロックで独立する」(※3)ことが出来たはず。
 見知らぬ人たちに愛された君の歌。――君はシュダイと反対のことを実現しちまったんだ。

 いまボクは、君が落第しない程度にせっせと逃げ出した教室の中に、人を閉じ込めるのが仕事。センセイって、人は呼ぶ。でもやっぱりボクは、あの頃感じた、薄っぺらいガラスの上を歩いている気持ちが抜けないよ。
 多くのセンセイやセイトやホゴシャの人たちは、この毎日が頑丈なコンクリートの建物の上にあると信じてるみたいだ。でも、ボクは今も薄いガラスの上。割れないように、割れないようにと息を詰めて渡っている。いっぱいしゃべってるけど、本当はとっても無口さ。それがふさわしい態度だと思ってね。
 八十年代の日々というガラスの上で生きた高校生が、オッサン教員として生きる現在。誰も振り向きゃしない。けど、それも確かに今の一つだ。
 生徒たちは知らない。君が歌った「ディスコミュニケーション」が、今の高校生たちに触れるボクの日々の苛立ちや怒りの免疫機能を担っていることを。
    Ah こんな気持ち  Ah/うまく言えたことがない/NAI  AI  AI     

                     「トランジスタ・ラジオ」
 今のボクは、繋がり過ぎでコミュニケーションの自明性に寄りかかり過ぎてもいるイマドキ高校生たちにも、そういううまく言えないことがあるのを、日々感じている。四十年も前の君の啓示を、ボクは今も信じている、つもり。
 君のせいで、君のおかげ。
 で、君は誰のせい(おかげ)でそんな考えを持つようになったの?

 

※2 RCサクセションのマネージャーや衣装係を務めた片岡たまきも、RCや清志郎の歌から得るこのような感触について述べている。(『あの頃、忌野清志郎と』 33頁)

※3 忌野清志郎 『ロックで独立する方法』

 

   (「Ⅰ」の次の部分 3分割の2番目に続く。 2番目のパートは、明日の朝7時半に公開)