RCサクセションのゲンソウ
――教室の隅で無口に座っていた君は、今はどこにでもいて、誰かのためにケッサクなマンガを描く

 

 序 雨あがりのお月さま  (後半)

 

 でも、キヨシローさん。ボクはずっと真近に君を感じてきた。ボクが働いて生きていくためには、いつも君が必要だった。(この部分は、故意に昨日の文章を重ねています。)
 誰かを退学させた時や、どうにもできない家庭の様子を見てしまった後の帰り道。自分の授業への失望やホームルーム運営でのうまくいかなさを感じた夜…。遠回りした車の中で、「雨あがりの夜空に」をかけ続けた。家族に八つ当たりしないで済む程度に自分が落ちつくまで。お月様に君の一旗ウサギがにじんで見えるころを待って。それから、宗教的じゃない文体で宗教を思考してみたいと思った文章が、あまり理解者を得ることは出来なかった時。君の「すべてはAlright(ya baby)」と法然さんの「一枚起請文」の一致点らしきものが、ボクを勇気づけてくれた。今は誰も認めてくれなくても、それでいい、それで行こう(すべてはオールライト!)。――君と法然さんは、二人ともそう言ってくれた。賢いつもりにならず、今が始まりだって受け入れよう、と。(「大丈夫さ うまくやるさ/すべては始まったばかりさ」=「智者の振る舞いをせずして ただ一向に念仏すべし」。つまり、人はいつも人生のビギナーでいるしかないんだよ、ということかな)。
 ボクは今、ある宗教思想を建学理念とする高校のセンセイになってる。決して賢くも荒れてもいない、普通高校のね。
 キョーイクって、いつも一番上と一番下には手をかける。けど、ボクの関わる生徒たちは、その真ん中の、一番目立たない層。まあ、世の中に埋もれていくだろう人たちだ。でも、ボクはそんな人たちと一緒にいるのが好きなんだ。ユーシューなやつらなんかと一緒にいるよりずっと。
 ごくありふれた人生を生きる人たちへ(ということはボク自身のためにも)、ボクはこんな言葉を語り続けて来た。ーーいつかどんな雨も上がる。そして、雨あがりの夜空にはお月さまが輝くものだよ、と。卒業生のうちのある人は、社会に出てからもその言葉を思い出してくれてるそうだ。もちろん、「お月さま」というのは、君たちRCサクセションの言葉だ。だから彼らは、間接的に、RCリスナーということになる……かな。
 ボクは今のセイトショクンを見ていて思うんだ。大衆音楽の力って、変わっていて変わっていないんだよ。ボクの前には、とびきり無造作な「変わりゆく(チェンジング)同じもの(・セイムネス)(※1)」が転がっている。そう思うとき、ボクはいつも感じている。君の姿を、君の声を。

 

 ※1 毛利嘉孝がリロイ・ジョーンズ、ポール・ギルロイなどの先行文献を援用して、黒人のポピュラー音楽の「たえず異種混交を繰り返し、移動や変容をしながら表れる/ダイナミズム」を示すものとして挙げた語。「変わらない同じもの」「不動のアイデンティティ」と対極の内容を指す(『増補 ポピュラー音楽と資本主義』 133頁)。

 

     (「1」に続く。 「1」は、12日金曜日の午前7時半に公開です。)