RCサクセションのゲンソウ
――教室の隅で無口に座っていた君は、今はどこにでもいて、誰かのためにケッサクなマンガを描く

 

 序 雨あがりのお月さま


 人は、その生の途中、あったはずのものがなくなるのを悲しむとともに、なくなったはずのものがいつまでもあり続けることに、魅了される。芸術や創作とは、まさにそのような魅惑をもって、我々の生を支える。
 それをゲンソウと呼んでもいいだろう。漢字を幻想とするか還相とするかは、考え方次第だ。どちらでもいい気もする。
 私はここで、私の生に触れてくる一つのゲンソウについて思考してみたい。それは「生きている人間なんて、どうも仕方のないシロモノだな」などと、どこかの教祖風に言わないための試み。言い換えれば、私の生の不確かさ、愚かさを生き抜くための試行である。

 十年経ったと人は言う。お別れは突然やってきて、すぐに済んでしまったし、検死官や市役所の人は、きっと君が死んだなんて言うだろう。
 一度も会ったことはない。お金も時間もなくて、ついにライブに出かけることも出来なかった。いや。本当は、ボクは君を見るのが怖かったのかもしれない。なぜかは分からない。肉体よりも声を信じていたかったのかな。一見は千聴に如かず……。
 でも、キヨシローさん。ボクはずっと真近に君を感じてきた。ボクが働いて生きていくためには、いつも君が必要だった。

 

  (「序」の後半に続く。 後半は、明日の朝7時半に公開予定です。)