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Jビート エッセイ987のNo.5

 

沢田研二の矜持・ヴォーカリストからシンガーへの変貌

 


     

 新しい可能性に寛容なこと。変化を排除しないこと。――80年代に炸裂する沢田の〈新奇さ〉。この先例が、「美しき愛の掟」だったのではないか。
 沢田が渡辺プロダクションから独立した時期に出したインタビュー集『我が名は、ジュリー』の後記に、恩人である渡邊美佐は、次のような言葉を書き込む。
  ジュリーはまじめな人です。正直な人です。潔癖な人です。それだけにその行動は時  として、心ない人から、あらぬ誤解をまねくようなことになりかねません。
 渡邊が言うように、「まじめ」で「正直」なジュリーが、一冊を貫いて語っている。ここでの沢田の言葉は、常に自己批判的だ。野球選手になる才能もなく、ヴォーカリストになっても歌が下手だと思われていて、ソロデビューも乗り気ではなかった。沢田は常に、「ジュリー」に酔うことがない。極端に言えば「見世物」としての自分への嫌悪感があり、普通の男としての視線を常に「ジュリー」としての自分へ向けていたように思われる。それが「スター」としての彼にアプローチを試みた人間たちにとっては、物足りなく、冷遇されたように見えたのだろう。渡邊のいう「心ない人」からの攻撃とは、それに違いない。
 とすれば、沢田研二が、70年代後半から80年代のあの奇抜なメイクとど派手な衣装を身につけ始めた時、彼の心の中で拠り所となる何かがあったはずではないか。

 

 (「6」に続く。)

 

 藤谷蓮次郎

  2021年1月14日

  再公開 2022年2月12日