このテーマの 
前振りからです




過日の 休日のこと

外出先で
父親と 小学低学年くらいの男の子が
私たちの 数メートル前を歩いていました


男の子は 持っていた
買ったばかりらしいフライドポテトを 
地面に 全部落としてしまいました

父親は 
萎縮している男の子を
大きな声で 罵倒し始めました

オマエは バカだとか
ドンくさいヤツだとか
しつこく しつこく
大きな声でです

朝から 気分の悪いさまでした



それを見ていた次女が 
私に言いました

「うちのお父さんやったら 私が落としたら
大丈夫やでって言うてくれるし 
もう一回買いに行こうなって
絶対に 言うてくれるわ
あの男の子 わざとしたんじゃないのに
かわいそうに」




気持ちに余裕の無いとき
私たちは 
つい カリカリしてしまいます

ほぼ 無意識に…



次女も 
二年前の 反抗期のときは
トゲトゲだったこともありましたが

それでも
ひとの間違いや 勘違いなど
悪気の無い失敗に関して
次女自身が 被害を被ったとしても
怒ったり 不満を口にするようなことは
一度も無かったと 記憶しています


私も 
旦那から 怒りをぶつけられたことは
ありません




この一面だけを お伝えすると

旦那も次女も
心の広い 愛情豊かなひとに聞こえます

そうではありません


この世は 
陰と陽の世界ですから
良いところ 悪いところが
万事に あります

ならば
悪いところなど
わざわざ見る必要など ありませんね



例えば 
この件で 次女は
男の子の わざとやっていない
悪気の無いところを
見ています

男の子の 注意散漫なとこや 
がさつなとこは 
あえて 見ていません


それが 
大切なのだと思います



誰だって
長けたところと
欠けたところはあります


例えば
大雑把なひとは
楽で楽しいけれど
ツメが甘くて ミスが多い

キチンとしたひとは
融通が利かなくて 窮屈だけれど
信用出来て 頼もしい


どのタイプが正しいわけではなく
多様なタイプが 存在するから
この世は 成り立っています


私たちは
誰かが正解で 
誰かが不正解ではありません

どの個性も
この世に存在する 正解なのです

それは
神が定めたこと だからです




私たちは
余裕が無くなることが 多いのです

人生は 修行の連続だからです

皆が
精一杯 修行をこなしています



障りのツライときは
お互い様です

自分がツライときも
何かしら 無意識に
他人様に やらかしているはずなのです



お互い様

だから

ひとの良いところを
たくさん見て 感謝しましょう

ひとの良いところを見習って
たくさん 成長しましょう





ブログには書いていないことを
つぶやいています

HP