昨日、参議院の文教科学委員会の理事全員で、小学6年生の女の子、がいじめを苦に自殺をした北海道滝川市に視察に行ってきました。
 去年、女の子が学校の教室で首を吊って命を落としました。7通の遺書が残っていました。そこには、あきらかに「いじめ」を苦しんでいた内容が書かれているにもかかわらず、学校、市教育委員会、県の教育委員会は1年かけて「調査」を行った結果、この自殺は、いじめが原因ではないと会見で明らかにしたのですが、メディアを中心にした反発を受け、その二日後に自殺の原因は「いじめ」であると一転して認めました。一体、調査とは何であったのか、組織で「隠蔽」をしたのではないか、という教育関係者への不信も大きく報道されました。
 昨日は、県と市の教育委員会、学校関係者、保護者の方々にお話を聞きましたが、誰が責任を持って、この自殺の原因を特定し再発防止を徹底するのか、という姿勢が見えてこなかったことに愕然としています。
 この女子児童の通っていた学校は1学年1クラス。いじめがおきた小学5年生の時のクラスの人数は30数人。ご遺族は、自ら調査した結果で、クラス全員にいじめられていたのでは、と言われました。修学旅行でこの児童が女子のチームに入れてもらえず、男子のチームに入らざるを得なかったこと。席替えで明らかにこの生徒が外されていたこと。クラス内で、この女子生徒がいじめられているという「兆候」に何故、先生が気付かれなかったのか。
 当時の担任は、「すでに解決済みで、大きな問題ではないと考えた」と言われました。解決済みだから校長、教頭に報告もしなかったのです。しかも、この担任教師は、事件が発生した翌年の春に他の学校に赴任をしています。北海道では、平均4年に一度、教師の配置転換が行われますが、この担任はわずか2年で学校を変わっているのはどうしてなのか、と聞いたところ、学校は「この教師から申し出があった」と言われたので判断した。上申を受けた市の教育委員会は、この上申を受け事務的に人事権のある道の教育委員会に上申をしました。道の教育委員会はこの申し出を認め、教師の配置転換をしました。
 担任として受け持っていた生徒は中学生になりましたが、他の学年の児童はそのまま学校に通っています。その児童も保護者も、通う学校で自殺事件があったという現実に向き合わざるを得ません。そうした中、自殺をした女の子の担任だけが、他の地域に赴任をしたことは、子どもに親にどのように写るのでしょうか。
 今、問われているのは子どもを守り、育みを支える「大人の本気」です。問題が発生した現実から大人が「逃げる」ということはあってはいけないと思います。私のこうした指摘について元担任は言われました。「申し訳ない」。校長は言われました。「本人の申し出があったので処理しただけで…」。そこに、自殺をされた女の子の訴えをくむ、残された児童の心のケアを何より優先するんだという姿勢は見られませんでした。
 学校、市町村の教育委員会、都道府県の教育委員会、そして文科省という教育行政の四層構造が、責任をあいまいにすると同時に子どもより組織を重視するという傾向をもたらしているのではないでしょうか。改めて、私たちが提案をしているように、国の責任の明確化、学校と地域が学校運営を主体的に行っていけるような制度改革が求められると実感をしています。
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