2003年に東京都教育委員会が、入学式や卒業式で教職員が国旗に向かい起立をし、国歌を斉唱するようにとの通達を出しました。この通達が出された後に、式典等で起立をしなかったことなどを理由に、都立高校の教職員345人が懲戒処分を受けたことを不服として、「通達や都教育委員会の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反をする」として訴訟を起こしていましたが、昨日、東京地裁は「通達は憲法違反」との判決を下しました。
 都の通達は、99年に成立した「国旗・国歌法」を受けて出されたものですが、この法律制定時の国会での政府側の答弁は「教育現場では強制をしない」というものだったことを考えると、国旗に向かい起立をしない、国歌を斉唱しない教職員は処罰をする、通達は義務だという都教育委員会の姿勢は誤っている、との司法判断は説得力を持つと考えます。
 今回の判決を受け入れるという内容の社説を掲げた朝日新聞と、判決自体がおかしいとする内容の掲載した読売新聞の社説の対比に興味深いものがありますが、まだまだ賛否両論があるこの問題を子ども達はどのように受け止めるのでしょうか。生徒の目に、式典での先生の態度はどのように映るのでしょうか。
 先生の言うことは守るもの、と教えられているにもかかわらず、式典では先生が校長先生の言うことを守らないのはおかしい、だから自分も先生の言うことを聞かないでもいい、と映るのか。それとも、尊敬をしている先生が、自身の信条を貫いた結果、処分をされてしまうのは、学校という体制自体への不信感につながるのでしょうか。
 判決では、日の丸と君が代について「明治時代から終戦まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ、国旗、国歌と規定された現在でも国民の間で中立的な価値が認められたとはいえない」と判断をしています。
 戦前、戦中、戦後、そして、平成生まれ。生まれ育った時代によって、国旗・国歌の価値感に大きな開きがあるのも事実です。大正生まれの私の祖母は「皇室アルバム」を正座をして見ていて、国歌を共に口ずさんでいましたが、戦後教育を受けた母にはその姿勢はなかったように記憶をしています。私の子ども時代、最も国旗に触れるのは祝日で、どの家にも玄関先に国旗を掲げているのが当たり前の風景で、国の祝日なんだと自然に受け止めて育ちましたが、今や祝日に国旗を掲げるお宅は少なく、私の子ども達は先日の「敬老の日」に、バスに国旗が掲げられているのを見て「ママ、今日はどこかでサッカーの大会とかあるの?」と聞いてきました。平成生まれの子どもにとっての国旗はスポーツとつながっているんだな、と思ったところです。
 どのような思い入れがあるにせよ、日本の国旗・国歌には敬意を表するものだと思いますが、そうした「思い」は自然に心の中に培われるという環境が大切です。今回の判決で問われた「式典での国旗への起立、国歌斉唱は義務」というように「強制」することが、次の世代に国を愛する心を芽生えさせるとは思えません。
 新しい総理大臣が「教育改革」を掲げています。法案に「愛国心」を書き入れることだけが「改革」というのではなく、どういう教育を行えば、日本に生まれ育つ子ども達に、この国を愛する気持ちを芽生えさせるのか、という視点に立ってほしいと思います。
 私たちは野党ではありますが、教育改革への法案準備、審議への準備は出来ています。
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