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私の今年の目標の一つでもあり、早急に取りかかりたいことに掃除があります。
なぜか?
ゴミ屋敷だからです
掃除をすると心が整うとか、掃除は神事とか、そういう自己啓発的な?開運的な?理由を書くと思いますよね?
いやいや、本当に汚くてさすがににっちもさっちもいかなくなってきたからです
実は、年末からずーーーっと、提出期限に迫られている案件が複数あって、大掃除も出来ずに年を越し、子供たちの持ち物の散乱も加担して、なかなかの状態に
でも、まだこの先しばらくは、仕事関係のあれやこれやに加え、PTAの年度末作業等で、まとまった掃除時間が取れない
と、言うわけで、今日から場所を小分けにして、短時間集中掃除をすることを誓います
でね!
掃除って、神道でも勿論大切に考えられているけど、仏教の方が知られている印象があります。
調べてみたら、お釈迦様が、掃除に来ていた信者が用事で来られなかった日に、自ら掃除を始め、自分の背中でその大切さを弟子達に教えたそうです。
以来、掃除は修行の一つと考えられるようになったのだとか。(諸説あるようです)
それと、私が何度もブログに書いている、神道の「中今」と同じ意味で、仏教では「今、ここ」を大切にしていて、目の前にある場所を綺麗にする掃除はまさにそれなのだと。
掃除に没頭すると、過去の後悔、未来の心配などの思い通りにならないことから自然に心が離れ、今を味わい、大切にすることにつながる。
ただしこれは、結果そうなる、ということで、見返りを期待して何かするのは自分の苦(自分の思い通りにならないこと)を生む行為で、心を整えようと期待して掃除をすると、かえって気持ちがざわめくのだとか。
うん、確かにそうですね。
危うく、やらかしそうでした
危ない危ない
自分の欲は出さず、無心に掃除をすることが大事
部屋の状態は心の状態。
部屋が散らかっている=心が乱れている。
はい、確かに乱れまくっているので、心を整えたいところ。
掃除(だけではなく、生活そのもののお手本)と言えば、やはり私は永平寺が思い浮かびます。
私は行ったことがないのですが、修行体験された方によると、廊下は磨き上げられ、台所、 浴室、トイレの出入りには合掌して、みえない仏様を心で感じるのだそう。
台所は食を通して命を頂く場、
お風呂は体の新陳代謝で出た垢を流して頂くお清めの場、
トイレは頂いた食べ物が命となって使命を果たし糞尿となり、神仏が、受け止めてくださる場。
夕食は、胡麻豆腐、野菜の煮物、和え物、沢庵と梅干し、佃煮など全て心を込めて手作りされたものを、少量頂くのだとか。
静かにゆっくり噛んで、時間をかけて食べると、量が少なくても完全に吸収されるので、お腹が空くこともなく、身軽に働き勉強出来たそうです。
うーん。
本当に普段、罰当たりなことばかりしてるな…私
普段の生活を、感謝して丁寧に営むことの大切さを改めて感じました。
少しずつ、ゆるいけど、家庭内禅修行、頑張るぞー
本日もお読みいただき、
ありがとうございました