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寒暖差はありますが、柔らかい春の陽射しを感じられるようになり、休眠していた落葉樹たちも芽吹きの季節に向けて、見えないところで静かに活動を始めています
あれ?
芽吹きの季節に向けて、見えないところで静かに活動を始めているのは、今の私のようで何だかとっても親近感
ところで私、最近、木とお話しているんです。
キャー
待って、待って
ページ閉じないで下さい
怪しい人と思わず、少しお付き合いいただけると嬉しいです
始まりは、このブログを書くきっかけにもなった天命探しにさかのぼります。
テーマでいうと、マイストーリーに書き連ねていますが、長くなるので、ここでは端折って書かせていただきますね。
幼少期には動物や自然と心を通わせていた私でしたが、人間に死に追いやられる動植物を助けられないのが苦しく、徐々に現実から目をそらすようになっていました。
しかし、天命を見つけたことで、再度交流を復活させ始めたのが、今現在になります。
ただ、動物や植物との交流といっても、私の場合は本当に会話できるわけではありませんよ、残念ながら…
でも、幼少期の田舎生活では、なんだか繋がっているような感覚があったんです。
友達~みたいな
そして最近、国内外で活躍されている、はせくらみゆきさんが、植物と話したいという質問者に対して、
「実は私たち、もう既に会話できているんですよ」
返答されていました
正確な言葉では覚えていないのですが、
植物に「喉が渇いたねー」といいながら水をあげるとか、そういうことで、もう既に会話できているのだとか。
確かに、土がカラカラに乾いていたり、日中暑かったり、萎れかかって元気がなかったりする姿を見たりすると、喉が乾いてるのかなって心を寄せて、水をやる行動をしていて、確かに交流していますよね
しかもですね
最近、スピリチュアルではなく、科学的に植物がコミュニケーションをとっていることが分かってきているのはご存知ですか
学会や科学雑誌にも色々な研究論文が発表されていますが、
例えば、アメリカ、トレド大学のハイディ・アペルさんのグループは、「植物が音(振動)に反応する」という新しい知見を発表しました。
目も耳もなく、動くこともできない植物ですが、最先端の研究者たちからすると、動けないがゆえに周囲の環境の変化を、時に動物以上に敏感に感じ取っている可能性があるというのです
だとすれば、コンクリートの土をとるために、またはニュータウン建設のため、乱暴に削られていく山々の植物たちは、滅び行く自分たちをどのように感じとっているのでしょうか
その声なき声に、幼少期の私が反応したとしても、さほど不思議はありませんよね?
話しがそれてしまったので、本題に戻ります
私が最近している、植物や動物との交流は、神道でいう、「中今」の精神を感じるのにぴったりの方法なんです。
私たちは、過去を悔やんだり、未来に不安を募らせたり、逆に過去の栄光に執着したり、未来に思い描く夢に浸ったり…と、
今、生きているこの瞬間より、過去や未来に思考を巡らせていることが多いですよね。
「中今」とは、長い長い時代の流れのなかで、私たちが神様に生かされている、今この時代を一所懸命に生きていくことです。
今、この瞬間、瞬間に意識を合わせて生きることが、単なる「今」 ではなく「中今」になるんです。
言葉は多義的なので、今、この瞬間に意識があっていればいいらしく、無心とか、ゾーンに入るとか、そんなイメージでいいみたいです。
その、中今の精神になれる方法の一つが、私にとっては、植物や動物との交流
例えば木のそばに行き、幹に触れて、手触りや匂いを感じたり、枝や葉の様子を見たり、見えない根っこから、水や養分がいきわたる様子を想像したり、「 もうすぐ春がくるね。今年も綺麗な花を咲かせてね」と話しかけたり…。
五感を植物との交流に集中することで、過去や未来に思考を巡らせることがない状態になれます。
そして、一所懸命ですが、ここは私の出身地、三重県の偉人、本居宣長先生の言葉をお借りします
人の行ふべきかぎりをば
行ふが人の道
自分のできることを
一所懸命にやる
報われる報われないは
人の力の及ばないこと
このことを心得て
大いなる事にあたるべし
私も報われるか報われないかなど、思考を未来にばかりやることはせず、受け取ったバトンを次世代に繋げるよう、与えられた命の期限を一所懸命生きたいと、芽吹きを前に生命力の高まっている木の前で決意を新たにした暖かな1日でした。
本日もお読みいただき
ありがとうございました