岩手県人の集いにお迎えした御来賓の方々
創立以来40年以上を経た岩手県人連合会は、これまでに多くの御来賓をお招きしてまいりました。
古くは昭和50年、連合会結成時の会長ご自身が、滝沢村出身の方でありながら、全国紙毎日新聞社社長の立場に居られ、来賓としての光を放っていた参加者でもあった訳です。
また、
5年後の昭和55年には、山田町出身の鈴木善幸衆議院議員が総理大臣となられたのを機会に、ご子息の鈴木俊一現衆議院議員ご夫妻とともに来賓として参加していただいたという記録があります。
昨年(平成27年)の6月7日に例年通りの県人の集いを持ちましたが、この時にも、多くの御来賓の中にお二人のめずらしい方がおられましたので、ここで少しご紹介したいと思います。
まず御一方は、
岩手県人連合会では忘れることは出来ない岩手日報社の新社長 東根千万億(あずまね ちまお)氏です。
早稲田大学出身で、まだ大変にお若く見える方で、お名前から察せられるように、これから何でもやるぞという雰囲気が感じられるのです。
いつもと同様、昨年も大変にお世話になっている岩手日報に、今後も東北をカバーする新聞社になってもらいたいと願うばかりです。
ご本人も、自らの名前に恥じない新聞にしようとお思いではないかと期待しております。
もう一方は、
昨年岩手県立大学の学長になられた鈴木厚人(すずき あつと)氏です。
この方は新潟県の出身で、新潟大学、東北大学、東京大学、高エネルギー加速器研究機構長(KEK)などの経歴があり、また仁科記念賞、学士院賞等の受賞歴があります。
実は つくば にあるKEKの研究長は、1997年から6年間、私の東京大学物理学科の同級生 菅原寛孝氏が務めていましたが、その後、業半ばで亡くなられた戸塚洋二氏が引き継ぎ、その次に、鈴木厚人氏が引き受けられたのです。
これらの方々は、いずれも群馬県の山中、カミオカンデの施設の中で、ニュートリノの質量の研究に携わり、その最初の結論が、東京大学宇宙線研究所の梶田隆章氏によって示されたことになります。
同級生の菅原寛孝氏は仙台のお寺の息子であったと思いますが、この種の研究に、彼は大きく関わったのだなと改めて感じました。
梶田隆章氏のノーベル賞受賞の際には、鈴木厚人氏も受賞者の候補になっていたそうで、その結論が伝えられるまでは、岩手県立大学の学長室は、大勢の取材記者で、大変であったと言う話でした。
この様な話を聴くにつけ、岩手県人会レベルの集会でも、招待された来賓の名簿(職務も含めて)は、ちゃんと記録に残し、リアルタイムで参会者に知らせることが必要だと思いました。
これが参会者にとって得難いチャンスとなり、新しい生活に繋がるということも無きにしも非ず、ということで、今後大事にするべきでしょう。
岩手県人連合会のように、会を性格付けるものが「地域」だけである場合、会を構成する人材は、多岐に及びます。
地域の平均的な人材が集まると同時に、上下の差もかなりある。
この問題を解決するものは、情報を開示して、全員に実情を知らせることだと思います。
今後会の運営をこの方向で進めたいと思います。
平成28年1月1日 瀬川 爾朗
古くは昭和50年、連合会結成時の会長ご自身が、滝沢村出身の方でありながら、全国紙毎日新聞社社長の立場に居られ、来賓としての光を放っていた参加者でもあった訳です。
また、
5年後の昭和55年には、山田町出身の鈴木善幸衆議院議員が総理大臣となられたのを機会に、ご子息の鈴木俊一現衆議院議員ご夫妻とともに来賓として参加していただいたという記録があります。
昨年(平成27年)の6月7日に例年通りの県人の集いを持ちましたが、この時にも、多くの御来賓の中にお二人のめずらしい方がおられましたので、ここで少しご紹介したいと思います。
まず御一方は、
岩手県人連合会では忘れることは出来ない岩手日報社の新社長 東根千万億(あずまね ちまお)氏です。
早稲田大学出身で、まだ大変にお若く見える方で、お名前から察せられるように、これから何でもやるぞという雰囲気が感じられるのです。
いつもと同様、昨年も大変にお世話になっている岩手日報に、今後も東北をカバーする新聞社になってもらいたいと願うばかりです。
ご本人も、自らの名前に恥じない新聞にしようとお思いではないかと期待しております。
もう一方は、
昨年岩手県立大学の学長になられた鈴木厚人(すずき あつと)氏です。
この方は新潟県の出身で、新潟大学、東北大学、東京大学、高エネルギー加速器研究機構長(KEK)などの経歴があり、また仁科記念賞、学士院賞等の受賞歴があります。
実は つくば にあるKEKの研究長は、1997年から6年間、私の東京大学物理学科の同級生 菅原寛孝氏が務めていましたが、その後、業半ばで亡くなられた戸塚洋二氏が引き継ぎ、その次に、鈴木厚人氏が引き受けられたのです。
これらの方々は、いずれも群馬県の山中、カミオカンデの施設の中で、ニュートリノの質量の研究に携わり、その最初の結論が、東京大学宇宙線研究所の梶田隆章氏によって示されたことになります。
同級生の菅原寛孝氏は仙台のお寺の息子であったと思いますが、この種の研究に、彼は大きく関わったのだなと改めて感じました。
梶田隆章氏のノーベル賞受賞の際には、鈴木厚人氏も受賞者の候補になっていたそうで、その結論が伝えられるまでは、岩手県立大学の学長室は、大勢の取材記者で、大変であったと言う話でした。
この様な話を聴くにつけ、岩手県人会レベルの集会でも、招待された来賓の名簿(職務も含めて)は、ちゃんと記録に残し、リアルタイムで参会者に知らせることが必要だと思いました。
これが参会者にとって得難いチャンスとなり、新しい生活に繋がるということも無きにしも非ず、ということで、今後大事にするべきでしょう。
岩手県人連合会のように、会を性格付けるものが「地域」だけである場合、会を構成する人材は、多岐に及びます。
地域の平均的な人材が集まると同時に、上下の差もかなりある。
この問題を解決するものは、情報を開示して、全員に実情を知らせることだと思います。
今後会の運営をこの方向で進めたいと思います。
平成28年1月1日 瀬川 爾朗