名誉なポストとは何だろう
最近、私が関わる学会から、名誉会員になってもらいたいので履歴と業績を送るようにという電話をいただいた。
これまでに名誉とつく肩書は大学の名誉教授のみであったので、有難いようでもあり、どうでもいいようでもある。
もし名誉会員になったとすると、通常、年齢は70歳以上で、学会費はなし、聴講/講演するばあいも、費用はなし、ただし、学会評議員になる資格は失われる、というような条件が付く。
こうしてみると、名誉会員とは、学会に対する過去の業績は評価し、死ぬまで名前は残すが、他には何もしなくてもよいという会員だということになる。
まさにお金との縁はなく、ただ名前(あるいは名声)によって学会に貢献することが仕事だということであろう。
こう思って、大学の名誉教授についてもいかなるメリットがあるか考えて見た。
先輩名誉教授からかねて言われていたことは、名誉教授の肩書があると名刺が作りやすく、そのことが特に重荷にもならない。
また生活する上で名刺があった方が便利なことが多い。
ただ、大学の名誉教授は、現役教授の口利きの外部への窓口として使われることも多く、不都合な場合もある。
私が直接かかわるT大学の場合、名誉教授は大学の寄付集めの窓口となることが多く、そのための非公式の集まりが学内で持たれることも多いと思う。
名誉教授にも停年があるような話があり、一時びっくりさせられたことがある。
昔は一度もらった肩書は死ぬまで通用すると思っていたが、しばらくして、名誉教授の「証書」を、ある総長の時代に改めて頂いたのである。
その証書の有効期限は80歳であった。
恐らくこれは、証書の有効性は80歳だが名誉教授の有効期間は命のある限りであると解釈している。
このことはまだ確かめていないのだが。
また、名誉教授の学内における待遇の中には、例えば大学図書館の利用のことなどがあり、名誉教授の証書によって図書が自由に利用できることなどが大変なメリットではある。
大学の証書が停年以後も個人の生活を規制するはずはないので、このことは大学の好意的処置だと解釈している。
最近の大学の人事を見ると、「副」というポストが大変に多くなったと思っている。
私の時代---20世紀の最後の国立大学---には副学長とか副所長とか副部長とかいうポストはほとんど聞かれることは無かった。
ところが、その直後から、大学には「副」という冠詞の着くポストがものすごく増えてきた。
副という接頭語の着く職は民間の組織には以前から多かったが、官の側もそのやり方を見習ったために、国立と私立が次第に区別がつかなくなり、両者の組織が人、物を問わず同一化しつつあるということを示しているように思われる。
単純に言えば、国中の官民が相身互いして、結果的に同じようになりつつあると言える。
ここで名誉と副とを冷静に比較すると、両者は人を区別するための暗号のように使われていて、それをあえて意識させないで人を動かす手段ではないかと思われてきた。
これまでに名誉とつく肩書は大学の名誉教授のみであったので、有難いようでもあり、どうでもいいようでもある。
もし名誉会員になったとすると、通常、年齢は70歳以上で、学会費はなし、聴講/講演するばあいも、費用はなし、ただし、学会評議員になる資格は失われる、というような条件が付く。
こうしてみると、名誉会員とは、学会に対する過去の業績は評価し、死ぬまで名前は残すが、他には何もしなくてもよいという会員だということになる。
まさにお金との縁はなく、ただ名前(あるいは名声)によって学会に貢献することが仕事だということであろう。
こう思って、大学の名誉教授についてもいかなるメリットがあるか考えて見た。
先輩名誉教授からかねて言われていたことは、名誉教授の肩書があると名刺が作りやすく、そのことが特に重荷にもならない。
また生活する上で名刺があった方が便利なことが多い。
ただ、大学の名誉教授は、現役教授の口利きの外部への窓口として使われることも多く、不都合な場合もある。
私が直接かかわるT大学の場合、名誉教授は大学の寄付集めの窓口となることが多く、そのための非公式の集まりが学内で持たれることも多いと思う。
名誉教授にも停年があるような話があり、一時びっくりさせられたことがある。
昔は一度もらった肩書は死ぬまで通用すると思っていたが、しばらくして、名誉教授の「証書」を、ある総長の時代に改めて頂いたのである。
その証書の有効期限は80歳であった。
恐らくこれは、証書の有効性は80歳だが名誉教授の有効期間は命のある限りであると解釈している。
このことはまだ確かめていないのだが。
また、名誉教授の学内における待遇の中には、例えば大学図書館の利用のことなどがあり、名誉教授の証書によって図書が自由に利用できることなどが大変なメリットではある。
大学の証書が停年以後も個人の生活を規制するはずはないので、このことは大学の好意的処置だと解釈している。
最近の大学の人事を見ると、「副」というポストが大変に多くなったと思っている。
私の時代---20世紀の最後の国立大学---には副学長とか副所長とか副部長とかいうポストはほとんど聞かれることは無かった。
ところが、その直後から、大学には「副」という冠詞の着くポストがものすごく増えてきた。
副という接頭語の着く職は民間の組織には以前から多かったが、官の側もそのやり方を見習ったために、国立と私立が次第に区別がつかなくなり、両者の組織が人、物を問わず同一化しつつあるということを示しているように思われる。
単純に言えば、国中の官民が相身互いして、結果的に同じようになりつつあると言える。
ここで名誉と副とを冷静に比較すると、両者は人を区別するための暗号のように使われていて、それをあえて意識させないで人を動かす手段ではないかと思われてきた。