東北の芸能---鵜住居虎舞や黒森神楽 | 瀬川爾朗blog

東北の芸能---鵜住居虎舞や黒森神楽

東北の芸能といえば数限りないが、東日本大震災の被害で話題になったものをみると、その芸能の中で、いくつかのトピックスが挙げられるようです。
たまたま先月の6月23日、平河町の傍の隼町にある国立劇場で東北の芸能—岩手—が取り上げられ、大変に評判がよかったようです。
私も岩手の宮古の方々に誘われ、その芸能を楽しむことになりました。


私は岩手県で育った人間なものですから、郷土芸能についてはある程度耳を慣らされています。
それによると、どうも、岩手県では大きく分けて、内陸のリズムと、海洋のリズムに分かれると思うのです。
地理的には、内陸のリズムは東北本線の南北線とそれから東西に延びる釜石線と山田線の周辺に広がったリズムがあり、海洋のリズムは三陸沿岸沿いに仙台の方から三陸鉄道を通って北に広がったものと見ております。

岩手の文化圏は盛岡市を中心としたものでありながら、東側の三陸沿岸とは、北上山系という巨大な山によって東西に分かれており、特に三陸海岸沿いが南北に細長く独立した文化圏に分かれていると考えられます。
しかし、その文化圏の仕分けが単純ではなく、環境の微妙な違いによって複雑に変化しております。


鵜住居虎舞は地域別には釜石市の虎舞と見做すことが出来、虎の頭を強調した踊りであります。
獅子の威力を借りて災いを祓う、獅子舞の太神楽から派生した芸能であります。
鵜住居は釜石の北端にある小さい地域ですが、芸の内容は釜石の中でも最も豊かです。

踊りには矢車、跳ね虎、笹食みなど豊富な内容を持っています。
私も子供のころ覚えた釜石虎舞の繰り返し歌う懐かしいメロディーを今でも覚えていて、無意識で口ずさんだりすることがあります。


この一方で、黒森神楽は岩手県宮古市の三陸沿岸に位置する黒森神社に属しています。

黒森神楽は15世紀ごろ生まれ、南部藩領に分布していた山伏神楽に属し、その中でも獅子神楽に分類されたらしいとの事です。
その衣装を見ると、両耳の位置から垂れ下がった「耳かけ」が大きくものを言い、また個性的な男女の面をつけた舞手により人間の喜怒哀楽が激しく表現されます。

各種の舞には、シットギ獅子、清祓、榊葉、松迎、山の神舞、恵比寿舞などがあります。
清祓は清祓面を着けたいざなぎの尊が、桃の枝、塩、太刀による祓い清めの舞を行い、榊葉は水上の舞とも言って、悪魔を祓い、家と大地に祝福を込める舞、松迎は阿吽の面(物事の初めと終わりの面)をつけた千秋と万歳の兄弟二人が正月の門松を立てて新年を祝う舞、等々であります。


鵜住居虎舞と黒森神楽を比較する限り、最後に「神に祈願する」ことを除けば、芸能としてはまるで違うとみてよいでしょう。
鵜住居虎舞が基本的には海を経て三陸海岸より岩手に入ってきた芸であることに比べ、黒森神楽は岩手内陸部から三陸海岸に及んできた芸であるということがはっきりしてきました。
思うに、三陸沿岸に並んだ小都市の生み出す芸能が海岸線を境に文化的に大きな差を生み出すということに強い衝撃を受けたのです。