津波の教訓 | 瀬川爾朗blog

津波の教訓

この度、3月11日に起こった東日本大地震津波の教訓には、めったに得られないさまざまなことがありましたね。

この際、私共としてはこれを正しく学び、後世に伝えていかなければなりません。

過去の地震津波で日本での記録がなかったもの、それはマグニチュード(M)=9 という大きさの地震です。

大昔に有ったかも知れないけれども、記録がありません。日本以外の世界では、最近でもあちこちで起きており、世界では100年間に数個は起きているのでしょう。

専門家ですら、M=9の地震が日本で起きた時、いかなる凄まじいことが起きるかを、直感できなかったと思います。


「マグニチュード」は1から9程度の数値が並び、一方で、「震度」は1から7程度の値になります。

前者は地震の総エネルギー、後者は場所ごとの地面の揺れを示します。

マグニチュード6、震度5とか、マグニチュード4、震度3、とか様々です。

これらの意味を良く聞き分けられるようにしましょう。


今度の大地震発生後、ほぼ一ヵ月後に、私も岩手県の釜石と大槌の視察に行ってまいりました。

交通障害や、停電に悩まされましたが、私にとって2度と遭遇しないであろうこの大惨事を良く見ておく必要があると思い、1泊2日の日程で出かけました。


私は、子供時代に、昭和20年の日本の敗戦を、その釜石で見ておりましたから、何としてもその違いを実感したいと思ったからです。

66年前の釜石も、米軍による艦砲射撃のために見渡す限り焼け野が原になっていました。

道端に死者が累々と横たわっていました。


今回も、その惨状においては、昔に劣らぬものだと感じました。

ただ大きな違いは、日本は全滅した訳ではないということでした。

また世界が日本の味方でもありました。

「大丈夫だ。必ず復興して見せる。」

それが私の結論でした。


過去の事例に学ぶことは大事ですが、正しく学ばないときには、それで命を失うことがあります。

今回の津波では、昭和8年の津波の教訓が指導原理となりました。

この地震は他に比べるとやや小さめの地震だったようなのですが、この津波の到達範囲を今回の避難の目安にした人が多かったと思われます。

そのため遠くに逃げるのを拒否して、命を失った人もいたということです。明治29年の地震は、最近明らかにされた「ゆっくり地震」に相当するもので、地震としては弱く、津波としては強いというものでした。

当時の死者26、000人という数は、今回と同程度ですが、防災対策はきわめて貧弱なものであったと想像されます。


さて、私共はこの津波を体験して、後輩に何を言い伝えるべきでしょうか。


 *津波警報とともに、逃げられるだけ遠くに逃げる。

 *家のことは一旦諦める。
 *津波は6-7回は繰り返す。

 *波高はその都度大きく変わる。

 *三陸津波は地震後30-40分後に来る。

 *車に乗っていた時には直ちに車を放棄する。

 *陸上を走る津波は時速30-40km。

 *川沿いに住んでいる人は、まず川から津波が襲うと思え。

 *船主は津波の際に沖だしできるように、

  船長、乗組員ともに気を緩めないこと。