(講演会)母を恨めない私
ある講演会のお話を聞いて、思ったことを記録。『(講演会)何故完璧主義なのか 』(そのお話はここ)の続き。母は、・学歴がなく。・キャリアがなく。・人間的に尊敬できない父に養ってもらい。・嫌だという実家を捨てられず。・自分の人生の失敗を人(祖母・父・子供)のせいだと文句を言い続け。・子供に自分のストレスをぶつけ。・「生むんじゃなかった」等と、子供の生きる意味を否定し続けた。私は、それでも、母親に幸せになって欲しくて、自分を殺して、母の願う人間になろうと、必死に生きてきたけど、結局、母は、私を「いらない子だ。」「出ていけ。」と言った。あの絶望感・・・悲しみ・・・もう、忘れたと思っていたのに、子供を生み育てていると、どうしても、あの頃の自分を思い出してしまうらしい。とても、とても、辛くなる。やっぱり、私は、どこかで、母に、必要としてもらえるのではないか。そして、母に、愛してもらえるのではないか。その思いを捨てきれず、母が死んでもなお、期待し続けていて、苦しんでいるのだろう。そんな母に怒ってもいい。だけど、私はやはり、母をまだ愛していて、母を恨みきれないでいる。母に愛してもらえないかと、諦めきれずにいる。私の苦しみも、悲しみも、辛さも、今も、心の奥底にとじこめてあって、本当なら、思いというものは、そのつど、その場、その時に、置いてこなくては、開放してこなくては、いけないのに、私は、置いてくる方法をしらず、ずっと、ためこんでいる。だから、許容量がいっぱいになって、小分けにわけて、保管庫を作って、鍵をかけて、保管しつづけていて、誰かか、似たような鍵(状況)を近づけてきて、こじあけようとするたびに、扉ががたがたと音がして、気になって気になって、痛みを生じるのだと思う。『(講演会)無表情な赤ちゃんは危険』(そのお話はここ)に続く。宜しかったら、応援クリックお願いします♪