赦すとは受容すること。善とも悪とも、是か否かを論じることでもなく、事象と感情を受け入れること。逃げではなく待つことである。
10/15 15:29
興味深く拝見しました。エイミーありがとう。『少し前の記事になりますが、学長のブログより。→ http://ameblo.jp/btu-blog/entry-11033534767.html 」
10/15 15:38
私の発する言葉が理解を阻害するなら、私を外して考えればいい。
10/15 15:41
言葉とは状態を表す統一ルールに過ぎない。それ自体にそれ以上の意味はなく、それ以下の意味も持たない。付加される人間性や感情が信憑性を高めスムーズなコミュニケーションを促す。時に権威と呼ばれるものはこれに属す。
10/15 15:56
林檎を蜜柑だと思い込んでいる場合、求めたモノは林檎で在っても、得たモノは蜜柑である。つまりそういう間違いである。
10/15 15:58
果物屋の権威(店主)が林檎を蜜柑と思い込んだ間違いを指摘すれば、万人はその間違いに気づけるのである。
10/15 15:59
もし権威がその間違いを放置するなら、そこにはある種の期待と目的が存在するだろう。
10/15 16:00
断っておくが、これは私が権威であるという主張ではない。権威とは特定の世界でしか通用しないものであり、全知全能ではないのだから。
10/15 16:05
もちろん私は全知全能ではない。そんなものは存在しない。私も間違いを犯す、犯せば認め謝罪する。しかし、林檎を蜜柑と騙ることはできない。
10/15 16:14
放置とは問題の解決から目を背ける行為であり、待ちとは問題の解決に向けて取組む姿勢の一貫である。赦すとは放置ではなく、待ちである。
10/15 16:19
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